エッセイ · 嗅覚アート

日本、江戸時代「十種香道具」。

Japan, Edo period. Ten-round incense game set.

花嫁は、鼻のための遊びを携えてくる。

梨子地に金銀蒔絵で唐草と家紋を配した十種香道具と、その香道具

The Metropolitan Museum of Art、Purchase, Bequests of Mary Clark Thompson and John D. Rockefeller Jr., by exchange, 2021(Open Access、パブリックドメイン) · The Metropolitan Museum of Art



嫁入り道具のなかの箱

2021年、ニューヨークのメトロポリタン美術館は、1856年に作られた日本の組香道具一式を収蔵した。美術館の題は長い。唐草と家紋を配した十種香道具。収納箱は高さ約17.6 cm、幅21.4 cm、奥行26.7 cm。

素材は漆塗りの木。梨子地、すなわち日本人が梨の肌にたとえる細かな金粉を散らした漆の地に、平蒔絵で文様が施されている。濡れた漆に金銀の粉を蒔き、平らで明るく滑らかな像をつくる技法である。

中には遊びに必要なすべてがそろう。美術館によれば道具は完備しており、『源氏物語』の巻名にちなむもうひとつの当てる遊び、源氏香のための折本まである。

この道具一式を特別なものにしているのは、細工だけではない。持ち主である。これは篤姫のものであり、作られた年は、彼女が江戸城に入った年である。

篤姫と政略結婚

篤姫は1836年に生まれ、はじめ於一(おかつ)と名づけられた。九州の最南部、薩摩を治めた島津家の島津忠剛の娘である。美術館の記述によれば、彼女はやがて京都へ移り、1855年には江戸の島津藩邸に移った。

1856年の十一月、彼女は第十三代将軍徳川家定の妻として江戸城に入った。家定は1858年、二年足らずのうちに亡くなった。篤姫は1883年まで生きた。

メトロポリタン美術館にとって、この道具一式は徳川家と島津家のきわめて重要な政治的同盟の象徴である。一方は江戸で幕府を握り、もう一方は南の最も有力な藩のひとつを治めていた。

こうした婚礼では、嫁入り道具はただ使うための物ではなかった。表明だった。金銀の蒔絵、蓋の家紋、最後のひとつまでそろった道具。そのすべてが将軍の宮廷に、花嫁が格式ある家の出であることを告げていた。

十回の遊び

十種香(じしゅこう)とは、十の香、あるいは香の十回を意味する。メトロポリタン美術館はこれを最も早い香の遊びのひとつと呼ぶ。四種の異なる香木を使う。三種がまず紹介され、試香として回されて、誰もがそれを覚えられるようにする。四つ目は伏せておかれる。

試香のあと、本番が始まる。聞き手は見ることができず、聞くことしかできない。毎回、それが既知の三種のどれなのか、あるいは一度も紹介されなかった見知らぬ香なのかを決めなければならない。

日本の香道では、これを嗅ぐとは言わず、聞くと言う。聞き手は小さな香炉を近くに持ち上げ、静まり、香りに語らせる。木のかけらは熱い灰の上で温められ、煙になるまで焚かれることはない。だから香りはゆっくりと、澄んで立ちのぼる。

この遊びが求めるのは二つ。鋭い鼻と、よい記憶。公式もなく、見るものもない。あるのは香りと、ひと息から次のひと息までの短い時間だけ。

なぜ遊びの箱が重要なのか

今日では、鼻で当てる遊びが国家的な婚礼の嫁入り道具に入っていたことは奇妙に思えるかもしれない。だが江戸時代の公家や武家にとって、香は茶や和歌と並ぶものだった。香を知ることは、作法と文学と静けさを知ることだった。

この道具一式を携えて将軍の大奥に入る女性は、ひとつの文化資本をまるごと持ち込んだ。香の集いは、出会い、たしなみを示し、属するための場だった。

箱はいまニューヨークにあり、薩摩からも江戸からも遠い。中の香木はおそらくずっと前に使い尽くされたか、香りを失った。残るのは道具と家紋と、ひとつの年。1856年、ひとりの若い女性が城に入った年。

ロンドンの V&A には、象牙の札までそろったもうひとつの江戸時代の組香道具一式がある。並べて見ると、この遊びがどれほど愛されたかがわかる。