エッセイ · 写真

Adam Fuss. My Ghost.

最も壊れやすいものが、最も鮮明な跡を残す。

Adam Fuss「My Ghost」:カメラを使わず印画紙に焼きつけた煙と光

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カメラのない写真

アダム・ファスはロンドン生まれの写真家で、長年ニューヨークで活動している。カメラをほとんど手放したことで知られる。代表的な作品の多くはフォトグラムだ。物を印画紙の上にじかに置く、あるいは暗闇で紙の前を通過させ、一瞬の光がその影を記録する。

レンズも、距離も、視点もない。物と光と、感光する面だけ。像は物と同じ大きさになる。遠くから見た物の絵ではない。物が光と出会うときに残す跡だ。

「My Ghost」でファスは、より古い技法も用いた。ダゲレオタイプ。1839年に広く公開された最初の写真技法である。像は磨かれた銀めっきの銅板の上にある。一枚ごとに唯一で、ネガもなく、焼き増しもできない。ある角度から見れば写真。少し傾ければ鏡になり、見る者自身の顔を映す。

「My Ghost」にあるもの

展覧会「My Ghost」は2001年1月初め、サンフランシスコのフレンケル・ギャラリーで開幕し、3月初めまで続いた。煙と光でつくられたダゲレオタイプとフォトグラムが集められた。

主題は何度も繰り返し現れる。翼を広げた白鳥。洗礼服。蝶。いくつかの自画像。そして、立ちのぼるところをフラッシュで捉えた煙。

鮮明な像もある。輪郭は切り取ったように清潔だ。ぼんやりとした像もある。軽く、ガラスにかかった息のように半透明。その違いは、すべてがファスの思いどおりになるわけではない。彼はその一部を偶然に委ねる。煙がどう動くか、光がどう落ちるか、翼が面にどう横たわるか。

シリーズのダゲレオタイプを集めた同名の本が、展覧会に合わせて出版された。

誕生、喪失、そのあいだにあるもの

主題の一覧を読むと、ひとつの生の循環が見えてくる。洗礼服は、生まれたばかりの子を示す。翼と蝶は飛び去るもの。煙は何かが燃えたあとに残るもの。自画像は、そのすべてのあいだに立つ作り手だ。

ギャラリーはこの展覧会を、生と死、誕生、愛とその喪失を扱うものと説明した。だが作品は物語を語らない。登場人物も舞台もない。光と薄いものだけが、ほとんど存在をやめる瞬間に留められている。

銀板の上の子どもの服に、子どもはいない。服の形だけが、実物大で、抜け殻のようにある。その空白を見る者が埋める。始まりを見る者もいれば、不在を見る者もいる。

だから題が重要になる。幽霊はふつう誰か他人のものだ。ここでファスは、私の幽霊と言う。失ったものは消えるのではなく、別の形で私たちのもとに住みつくかのように。

なぜ残るのか

「My Ghost」は写真をその出発点へ連れ戻す。光が面に触れ、跡を残すこと。写真が遠くから世界を記録する方法になる前、それは物が自らを焼きつける方法だった。

リサ・オッペンハイム(Lisa Oppenheim)の煙の写真と並べると、「My Ghost」は、煙がなぜこれほど難しく、惹きつける主題なのかを示す。形はある。だがその形はとどまらない。現実にある。だが手に持つことはできない。

ファスは煙を長く残そうとはしない。残す一瞬を選ぶだけだ。残りは、いつものように漂い去っていく。