エッセイ · 写真

Susan Derges. River Taw.

川は撮られない。川が自分の像を残す。

Susan Derges「River Taw」。トー川の渦と葉を記録した縦長のフォトグラム


川の下の一枚の紙

トー川はイングランド南西部のデヴォンを流れる。Susan Derges のスタジオのすぐ近くだ。1990年代後半、彼女は夜の川へ印画紙を運ぶようになった。

紙は大きかった。長さ約5.5フィート、幅約2フィート。Derges はそれを水の中、水面のすぐ下、流れが枝や石のまわりで渦を巻くところへ差し入れた。暗闇の中なら、感光紙は安全だ。すべてが整うと、彼女はストロボを焚いた。

光はほんの一瞬だけ続いた。そのあいだに、ランプと紙のあいだにあったすべてが影を残した。さざ波、渦、泡、漂う葉、岸から伸びる枝。紙は家へ運ばれ、現像され、川のある一瞬の像が現れた。

そこにカメラはなかった。これらはフォトグラム、物と光と紙が直接触れ合うことで生まれる像である。

この方法は忍耐を求める。夜を、場所を、水位を選ばなければならない。冷たく流れる水のそばの暗闇に立ち、水面がとどめるに値する形をとるのを待たなければならない。作り手は、何を受け取るのかを前もって見ることができない。紙を現像して初めて、その夜の川が姿を現す。

川が運ぶもの

「River Taw」の写真をよく見ると、川岸がまるごと名指せる。ナナカマド、セイヨウヒイラギ、スピノサスモモ、ツタ、サンザシ、ハシバミ、ヤナギ。どれもトー川沿いに育ち、葉を落とし、水面近くを漂う。Derges はそれらを並べない。水が運んでくるから、やって来るのだ。

一枚一枚は、ひとつの場所のひと晩の記録に近い。流れが速いところでは、さざ波がひしめく。遅いところでは、水面が平らになり、葉が静かに横たわる。織物のように見える紙もあれば、地図のように見える紙もある。

原画はシバクローム (Cibachrome) に制作された。深い発色と光沢のある表面をもつカラー印画紙である。「River Taw」の色は、夜の川の色ではない。光が紙の上の化学と出会った色、夜に岸辺に立つ人には決して見えない色だ。

判型は縦長で、細長い。水の柱のように。その前に立つと、見る人はほとんど岸から川を見下ろしている。

22年後

屋外で、水中で、暗闇で制作することは、いつも成功するわけではない。途中で多くの紙が傷んだ。引っかき傷のついたもの、角がだめになったもの。それらはスタジオに残り、人目に触れなかった。

2020年、ニューヨークの Danziger Gallery は、7月下旬から8月上旬まで、短い展覧会「The River Taw Restored」を開いた。傷んだ原画は高解像度でスキャンされ、デジタルで修復され、初めて Fujicolor Crystal Archive 紙に、2部限定でプリントされた。

不思議で、思慮深い出来事だ。川が自らを焼きつけた一瞬は、20年以上前に起きていた。それは誰も見ていない傷んだ紙の中で待っていた。そして新しい技術が、それを現した。

あの年の川はもうない。水は流れ去り、葉は朽ちた。紙だけがその像を抱いている。

なぜ残るのか

「River Taw」は、風景写真についての私たちのふだんの考え方を反転させる。写真家は離れて立ち、構図を選ぶのではない。水の中へ入り、感光する面を光景の内側に置き、残りは光景に任せる。

杉本博司の、フィルムに自らを書きつける火花のように、「River Taw」は目では追えないエネルギーの像である。一方は電気。もう一方は水。

どちらも、見ることはできず、触れることしかできないものがあると示す。そして時に、触れることはどんな眼差しよりも鮮明だ。