エッセイ · 写真

杉本博司(Hiroshi Sugimoto)「Lightning Fields」

Hiroshi Sugimoto. Lightning Fields.

火花は撮影されない。火花はみずからフィルムに書き込む。

杉本博司「Lightning Fields」:フィルムに直接記録された枝分かれする放電、ゼラチン・シルバー・プリント

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カメラのない写真

「Lightning Fields」は、杉本博司が暗室でカメラを使わずにつくるシリーズだ。金属板の上に大判のフィルムを置く。そして400,000ボルトを発生できるヴァン・デ・グラフ起電機を使い、火花をフィルムに直接放電する。

電流が乳剤に触れるのは、一瞬にも満たない。あとには枝分かれする光の線が残る。流星群のようなもの、根や葉脈のようなもの、成長の途中にある生き物のようなもの。一回の放電が一枚の像を生む。繰り返すことはできない。

フィルムはその後現像され、ゼラチン・シルバー・プリントとして焼き付けられる。2009年秋、サンフランシスコのフレンケル・ギャラリーがこのシリーズを展示したとき、高さ2メートル近いプリントもあった。その大きさでは、一瞬の火花が、長いあいだその前に立つものになる。

杉本は高電圧と暗闇と感光フィルムを相手に仕事をする。そこには危険があり、偶然がある。彼は道具、距離、触れ方を制御する。どの枝が伸びるかは制御しない。

欠陥が主題に変わる

大判フィルムを使う写真家にとって、静電気はかつて厄介ものだった。乾いた空気の中でフィルムを引いたりこすったりすると、小さな放電がネガに樹の形の筋を残すことがあった。多くの良いフィルムが、そうして失われた。

杉本はその問題を裏返す。かつて損傷と見なされた痕跡が、画面の唯一の主題になる。風景も肖像もない。あるのは、電気が物質を横切るときに残す跡だけ。

これは彼の仕事に通じる習慣だ。以前のシリーズでは、映画館で映画一本の上映時間ずっとシャッターを開けたままにし、スクリーンを白い塊にした。水平線が画面を二つに割る構図で海を撮った。彼は写真を、そのもっとも基本的な条件へと押し戻しつづける。光、時間、感光する表面。

写真の根へ

「Lightning Fields」には19世紀の相棒がいる。イングランドにおける写真の発明者のひとり、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(William Henry Fox Talbot)だ。タルボットもまた、電気と静電気の実験に惹かれていた。同じ時代、マイケル・ファラデーが1831年に電磁誘導の法則を示し、のちの発電機の基礎を築いた。

杉本は、科学と像がまだ分かれていなかった瞬間を、自分の暗室で再演しようとした。当時、感光紙一枚は実験器具であり、まだ芸術写真ではなかった。

2009年の展覧会では、「Lightning Fields」のプリントの横に、フレンケルが並行するシリーズから二点を掛けた。杉本がタルボット自身のオリジナル・ネガから制作した、調色ゼラチン・シルバー・プリントだ。並んだ二つのシリーズは、一本の糸の両端のように読める。

痕跡としての写真

たいていの写真は、何か別のものの像だ。顔、通り、ある午後。「Lightning Fields」には、その別のものがない。記録されているのは、フィルムに触れたものそのものだ。

だからこのシリーズは、絵画よりも足跡に近い。物理的な出来事の痕跡だ。見ても、稲妻は見えない。見えるのは、稲妻がいた場所だ。

杉本の作品は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、メトロポリタン美術館、テート、東京国立近代美術館など、多くの主要なコレクションに収蔵されている。「Lightning Fields」が保つものは、とても小さい。一瞬にも満たない時間が、実際に続いたよりはるかに長く保たれている。