エッセイ · 近代美術

アグネス・マーティン。「Untitled #5」。

Agnes Martin. Untitled #5.

心のなかでは完璧。キャンバスの上では不完全。

アグネス・マーティン「Untitled #5」。明るい灰色の上に、暗い灰色の水平の帯が等間隔に4本並ぶ正方形のキャンバス

Tate · Tate



4本の灰色の帯

「Untitled #5」は正方形のキャンバスで、一辺はおよそ1メートル83。明るい灰色の地に、暗い灰色の水平の帯が4本、等間隔に走る。それだけである。

絵具は不透明だ。それでも暗い帯のなかの色調は完全には均一ではない。キャンバスを横切る筆の跡がまだ見える。ごく近くで見ると、帯の縁は完全にはまっすぐではない。欠陥ではない。描いた人の痕跡である。

カナダ生まれのアメリカの画家アグネス・マーティン(Agnes Martin)が1991年に制作した。2013年、American Fund for the Tate Gallery を通じ、マーティンの親しい友人であり長年の画商であったミリー・グリムチャーとアーン・グリムチャーの提供によりテートに収められた。2015年のテート・モダンでの大回顧展と、彼女に捧げられた ARTIST ROOMS の展示にも出品された。

小さな定規、鉛筆、テープ

テートはマーティンの手法をかなり詳しく記している。彼女はキャンバスにアクリルジェッソで下地を施した。帯ごとの区切りを測り、小さな定規でキャンバスを横切る水平の鉛筆線を引いた。マスキングテープで各縁をくっきりと保った。絵具は灰色のアクリルで、薄めなかった。

ひとつ意外な細部がある。彼女は帯を、掛けられる向きどおりに水平には描かなかった。絵具が線の外に流れないよう垂直に描き、乾いてからキャンバスを90度回したのである。

マーティンは油彩でも描いていたが、1966年ごろからはほぼアクリルだけを使った。多くはリキテックス(Liquitex)で、アメリカで最初に市販された水性アクリル絵具である。マットで半透明な仕上がりのためだった。

彼女は、どの絵も完全なひらめきとしてやって来たと語った。心のなかでそれを見て、見たとおりにキャンバスへ移すために測った。だが彼女ははっきりと言っていた。人は完璧に見ることはできても、完璧につくることはできない。揺れる鉛筆線と小さなにじみは、そのふたつのあいだの距離である。

ガリステオの灰色の年月

1977年、マーティンはニューメキシコの小さな村ガリステオに移った。そこで灰色の抽象画を描き始め、ほかの作品とともに1992年まで描き続けた。1993年、彼女はタオスへ移る。したがって「Untitled #5」は、灰色の絵の最後期の一枚である。

それはまた、6フィート四方の判型の最後期の一枚でもある。マーティンはその大きさが人の身体に合うので好んだ。足を踏み入れられる大きさだと言った。だが80代になると大きなキャンバスは扱いにくくなり、1993年からは5フィートに移った。

大きな判型は彼女を、バーネット・ニューマンやジャクソン・ポロックといった抽象表現主義の画家たちと結びつけ、ヒューストンの礼拝堂でマーク・ロスコが見る人を色で包むあり方とも結びつける。だがマーティンのキャンバスには爆発するような筆致はない。ミニマリズムの隣に置かれることも多く、1960年代にはその作家たちと展示もした。だが彼らと違い、工業素材も機械的な工程も用いなかった。すべての線が彼女の手を通った。

長く見ること

「Untitled #5」には解読すべきものがない。像も、物語も、鮮やかな色もない。通りすがりの人には空っぽに見えるかもしれない。

だがキャンバスは視野の大半を満たすほど大きい。その前にしばらく静かに立つと、小さな違いが現れる。ある帯がほかより一段暗い。縁がかすかに波打つ。筆の跡が光をとらえる。絵は変わらない。変わるのは見る人である。

マーティンは、自分の作品は心のなかで知る完璧さについてのものであり、絵そのものは完璧からほど遠い、私たち自身がそうであるように、と書いた。この灰色の絵が心に残るのは、そのためかもしれない。何も約束しない。ただ、誰かが大きな注意を払って試み、その試みの跡を残したことだけを見せる。