エッセイ · 嗅覚アート

agustine zegers。「A toxin threatens, but it also beckons」。

agustine zegers. A toxin threatens, but it also beckons.

私たちを脅かすものは、私たちが手を伸ばすものでもある。

agustine zegers「Inter.densidad」。展覧会「A toxin threatens, but it also beckons」における、マイクロプラスチックを含むポリマーの断片


見て、かぐための展覧会

2025年9月23日から12月13日まで、イリノイ大学シカゴ校の Gallery 400 で「A toxin threatens, but it also beckons」が開かれた。キュレーションはデニー・ムワウラとローレライ・スチュワート。

作家はシカゴを拠点とするチリ出身のアーティスト agustine zegers で、その名は小文字で表記される。zegers は嗅覚アートを手がけ、大気の生政治(atmospheric biopolitics)と呼ばれる分野も研究している。私たちを取り巻く空気が、権力、産業、そして誰が何を吸わねばならないかという決定によって、どう形づくられるかを問う分野と理解できる。

展覧会にはふたつの層がある。見る層。ポリマーの断片、プラスチックの水たまり、拾われた物。かぐ層。ある風景のなかの石油採掘の強烈な匂いを思わせるようにつくられた香り。

ふたつの層はひとつの素材を語る。日々の暮らしのどこにでもあり、もうほとんど気づかれないプラスチック。

部屋のなかの物

2025年制作の「Inter.densidad」は、マイクロプラスチックを含むポリマーの断片からなる。同じく2025年の「Poli.etilena」は、袋やフィルムやボトルにもっとも多く使われるプラスチック、ポリエチレンでつくられている。

ギャラリーの窓ガラスに、zegers はマイクロプラスチックを閉じ込めたポリマーの水たまりを置いた。光は薄い皮膚を、あるいは水面の油膜を通るように、そこを抜けていく。

そして、香りで満たされた、拾われたプラスチックのキャップがある。展覧会でもっとも小さくまとまった物かもしれない。毎日ひねって開けては捨てるものが、小さな匂いの杯になる。なかに何があるかを知るには、訪れた人は身をかがめ、ごみのひとかけらに鼻を近づけなければならない。

その動作はわざと居心地が悪い。私たちはキャップを、目を向ける価値もないものと見ることに慣れている。ここではそれが、かがれることを求める。

毒と快楽

題名はひとつの矛盾を抱えている。毒は恐ろしい。だがプラスチックは魅力的でもある。軽く、便利で、艶があり、安い。暮らしを楽にする。害があると知っていて、私たちはなお手を伸ばす。

zegers はその感覚を正確に名指す。ポリマーを前にした欲望と嫌悪が同時にあること。展覧会は説教しない。訪れた人をまさにその矛盾のなかに置く。私たちを脅かすものと慰めるものが同じものである場所に。

匂いは、像よりもはっきりとその矛盾を示す。石油の重い匂いは人を顔しかめさせるが、見慣れた何かを思い出させることもある。ガソリンスタンド、敷きたてのアスファルト、車の流れ。私たちは一歩下がり、ずっと前からそれと暮らしてきたことに気づく。

関連するテーマは上田麻希(Maki Ueda)の作品にも現れる。「That Microplastics Smell Delicious!」で、彼女は海の生きものにマイクロプラスチックを食べさせてしまう匂いを扱う。ふたりの作家、ふたつの方法、そしてプラスチックが空気と水に何を残すのかというひとつの問い。

多孔的な身体

展覧会の中心にある考えは、身体の多孔性である。皮膚も肺も血液も壁ではない。周囲が運んでくるものを吸収する。マイクロプラスチックは食べ物、水、空気を通って身体に入る。

Gallery 400 はこの展覧会を、生態系の崩壊の時代に、地球に住む者として私たちが共有するトランスコーポリアリティ(身体を越えたつながり)について考えるものだと述べる。外に立つ者はいない。ひとつの身体に入るものは、別の身体にも、動物にも、土にも入る。

それを語るのに、匂いはふさわしい方法である。何かをかぐとは、物の一部を自分のなかに入れることだ。ひと呼吸ごとがひとつの吸収である。zegers はその当たり前の行為を、訪れた人が気づかずにいられないものに変える。私たちは何を吸い込んでいるのか。そして、それを決めたのは誰か。