エッセイ · 近代美術

アルベルト・ジャコメッティ。「Man Pointing」。

Alberto Giacometti. Man Pointing.

私たちには見えない何かを指さす指。

アルベルト・ジャコメッティ「Man Pointing」。とても細く背の高いブロンズの男。片腕を前へ伸ばして指さし、もう一方の腕は何もない空間を抱えるように曲がる

Tate · Tate



ひと晩、濡れた石膏ひとつ

1947年の終わり、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)はニューヨークでの最初の個展を準備していた。会場はピエール・マティス画廊、開幕は1948年1月の予定だった。彼はそのためにいくつもの作品をごく短期間でつくった。「Man Pointing」はそのひとつである。

1964年、彼は作家ジェイムズ・ロードに、この作品はひと晩で、真夜中から翌朝9時までにつくったと語った。実際にはすでに完成していた。だが鋳造所の人たちが引き取りに来るので、それを壊し、すべてつくり直した。彼らが着いたとき、石膏はまだ濡れていた。

この話はジャコメッティの仕事の仕方を多く語る。彼が作品を完成したと見なすことはまれだった。つくり、消し、またつくり、しばしばほとんど何も残らなくなるまで続けた。「Man Pointing」は凝縮された時間のなかで生まれた。手放さねばならない前の、最後の夜に。

骸骨のような身体

テートのブロンズは高さおよそ1.78メートル。台座の上面には A. Giacometti 3/6 と記され、6点の鋳造のうち3番目であることを示す。台座の背面には鋳造所の名 Alexis Rudier, Paris がある。テートは制作から2年後の1949年、作家から直接これを購入した。

人物はあまりに細く、肉がほとんどない。ブロンズは粗くでこぼこで、石膏に残った指の跡を保っている。片腕は前へ伸び、指が遠くを指す。もう一方の腕は輪のように曲がり、そこにないものを抱えているかのようだ。長い脚は重い台座に固定されている。

この時期にジャコメッティについて書いたジャン・ポール・サルトルは、この作品をつねに無と存在のあいだの途上にあるものと述べた。テートは、その芝居がかった仕草と骸骨のような形に注意を向けている。

この人物は第二次世界大戦直後の年月に属している。前の戦争のあとのエプスタインの「The Rock Drill」から生まれた半身像のように、彫刻のなかの人の身体はふたたび痩せていく。

壊された連れ

曲がった腕は偶然ではない。ジャコメッティは最初からふたり組を望んでいた。指さす男は片腕を連れの肩にまわし、もう一方の手で遠くの何かを示すはずだった。

だが1947年、彼は2体目をつくれなかった。1953年10月20日付の手紙に、1体目ができあがると2体目をつくることはまったく不可能で、始めることさえしなかったと書いている。

1951年、彼はふたたび試みた。腕を体の脇に下ろした、ひどくまっすぐな2人目の男を石膏でつくり、ふたりをパリのマーグ画廊で「Groupe 2 Hommes」として見せた。それは望んだものではなかった。展覧会が終わるとすぐ、彼は石膏を壊した。鋳造されることはなく、もう存在しない。

ジャコメッティは、指さす男はひとりで立つのだと結論した。だから曲がった腕は何もない空間を抱いている。意図のなかにかつて存在し、そして消えた誰かの場所を。

アトリエ近くの交差点で

研究者ラインホルト・ホール(Reinhold Hohl)は、「Man Pointing」をジャコメッティが1933年につくった作品と結びつける。どちらも、伸ばした腕で自らの存在の縁を示す人物を通して、空間を描いている。

写真家エルンスト・シャイデッガー(Ernst Scheidegger)は、パリのジャコメッティのアトリエに近い、イポリット・マンドロン通りとムーラン・ヴェール通りの交差点に立つ「Man Pointing」を撮影したことがある。写真のなかで、それは交通整理をする警官のように見える。おそらく作家の同意のもとで。

その写真はあることを明かす。通りでは、指さす仕草はありふれた、ほとんど実用的なものになる。ギャラリーでは問いになる。同じ腕、同じ指。変わるのはまわりの空間だけである。

男は80年近く指さし続けている。見る人はいまも彼の腕をたどる。作品が求めるのは、それだけなのかもしれない。それが指す場所を、私たちが見ること。