エッセイ · 近代美術
ジェイコブ・エプスタイン「Torso in Metal from 'The Rock Drill'」
Jacob Epstein. Torso in Metal from 'The Rock Drill'.
この作品は、取り去ることで完成した。
Tate · Tate
削岩機の上のロボット
1913年、ロンドンで、ジェイコブ・エプスタインは機械の引力にとらわれていた。キュビスム、未来派、ヴォーティシズムが機械化の新しさを探っていた時代。エプスタインは中古の工業用削岩機を買い、その上に、またがって操るような背の高い石膏像をつくった。
ニューヨーク生まれのエプスタインは、削岩機はその街でよく知っていたものだと語った。作品を完全な抽象にはしたくなかった。生きた存在としての機械の感覚を、彫刻に移したかった。
1915年3月、作品はロンドン・グループ展に出品された。石膏像は本物の削岩機に据えられていた。見る人が目にしたのは、半分人間、半分機械のもの。角ばった身体、面頬のついた兜のような頭、そして胸のなかの小さく丸まったかたち。
子を抱えたロボット
1940年の自伝で、エプスタインは原型を、面頬をつけた威圧的な、機械のようなロボットと書いた。それは自分の子を内に宿し、守るように抱えていたという。胸の小さなかたちがその子である。
この細部が、作品を機械への賛美より複雑なものにしている。ロボットは掘り、壊す力であると同時に、産み、守る存在でもある。機械の力は、自らを再生産できる新しい種として思い描かれている。
エプスタインはまた、機械への情熱は長く続かなかったとも書いた。彼はこの像を、私たちが自らをそれへと変えてしまったフランケンシュタインの怪物と呼んだ。ふり返って、それを大戦の予言と見た。
戦争と切断
第一次世界大戦は、機械がかつてない規模で人を殺した最初の戦争だった。機関銃、大砲、毒ガス。Tate によれば、その死傷者を前に、エプスタインの機械に対する態度はすっかり変わった。
1915年の展示のあと、彼は削岩機を外した。像を腰で切った。左手と右腕を取り去った。Tate のカタログはさらに正確だ。石膏では右腕に前腕と手があったが、青銅では省かれた。石膏で切り詰められていた左腕は、青銅では身体の前を横切っている。
それから残ったものを青銅に鋳た。1916年、新しいタイトル「Torso in Metal from The Rock Drill」でふたたびロンドン・グループ展に出品された。1956年にカナダ国立美術館が購入した初期の鋳造が、おそらくその年に展示されたものである。
かつて威嚇的だった像は、いまは傷つきやすく見える。Tate はそれを、加害者というより犠牲者と評する。動かす機械もなく、立つ脚もなく、握る手もない。あるのは兜をかぶった頭、角ばった胴、そして胸のなかにまだいる子だけ。
Tate の半身像
Tate の青銅は高さ約70センチ、幅58、奥行き44。1960年に、彫刻家の未亡人レディ・エプスタインから購入された。銘はない。いまは Tate Britain の1920年から1940年のイギリス美術の展示室に置かれている。
1915年の本物の削岩機と背の高い像に比べると、この半身の胴は驚くほど小さい。もはや未来についての宣言ではない。その未来が到来し、奪うものを奪ったあとに残ったもの。
第二次世界大戦後のジャコメッティの細い人物像と並べると、「Torso in Metal」は20世紀の彫刻に共通するものを示す。戦争のたびに、芸術のなかの人の身体は細くなり、壊れ、どこかを失う。
エプスタインは戦争についての彫刻をつくったのではない。戦争に自分の彫刻を加工させた。腰の切断は、ある特定の瞬間の痕跡。一人の芸術家が機械を信じるのをやめたときの。