エッセイ · 近代美術
ナウム・ガボ(Naum Gabo)。「Head No. 2」。
Naum Gabo. Head No. 2.
空っぽの空間でできた頭部。
Tate · Tate
開かれた頭部
Head No. 2 は人の頭と肩の彫刻である。けれど伝統的な肖像の胸像のように、石から彫られても、ブロンズで鋳造されてもいない。平らな板を切り、直角や斜めに差し込んで組み立ててある。箱の中の仕切りのように。
正面からは、眉、鼻、頬、顎、首がわかる。けれどどの部分も曲面ではなく、垂直に立つ面だ。面と面のあいだは空っぽの空間。光は彫刻の中へ入り、影はその内側に落ちる。私たちは頭の内側を見ている。
見る人が横へ一歩動くと、頭部はすっかり変わる。面が重なり、隙間が閉じ、また開く。全体を見せる視点は一つもない。
ナウム・ガボは1916年、小さな寸法で最初の版をつくった。ほぼ五十年後の1964年、鋼で拡大した版をつくった。その拡大版は、ロンドンのテートが所蔵している。
戦争のさなかのノルウェー
ガボは1890年、ナウム・ペヴスナーとしてロシアに生まれた。戦争の前にミュンヘンで自然科学と工学を学び、その道筋から美術にたどり着いた。兄の画家・彫刻家アントワーヌ・ペヴスナーと区別するため、ガボという名を名乗った。
第一次世界大戦が始まると、兄弟はノルウェーへ移った。1915年から1916年ごろ、ガボはそこで面で組み立てた最初の頭部をつくった。最初の素材はつましいものだった。合板、厚紙、金属板。
方法は技術者の考え方から来ていた。立方体は一つの塊として理解できる。交差する面と、それらが囲む空間としても理解できる。ガボは二つめの考え方を人の頭に当てはめた。
塊のかわりに空間を
1920年、革命後のモスクワに戻っていたガボとペヴスナーは、「リアリズム宣言」として知られる短い文章を発表した。彫刻は固い塊に頼る必要はない、と論じた。空間と時間こそが新しい芸術の本当の素材だ、と彼らは書いた。
Head No. 2 は、その考えの早い証明である。岩のように空間を占めない。開いて、空間を通り抜けさせる。見る人は固い物の前ではなく、透かして見える構造の前に立つ。
そのころのロシアでは、多くの作家が工業素材で形を組み立てていた。タトリンはその方向の大きな名であり、のちにアメリカの作家が蛍光灯で彼に敬意を捧げた。ダン・フレイヴィンの「monument for V. Tatlin」である。ガボがタトリンと違ったのは、芸術を生産のためだけに仕えさせようとしなかった点だ。彼は芸術を、純粋な形と空間の領域にとどめた。
1964年の拡大
ガボは1922年にロシアを離れ、ベルリン、パリ、ロンドンで暮らしたのち、アメリカへ移った。生涯を通じて最初期の作品に立ち返り、新しい素材、新しい大きさでつくり直した。
1964年の鋼の Head No. 2 は、そうした立ち返りの一つである。大きな寸法になると、作品はもう手に持つ模型ではない。見る人の背丈で立ち、内側の空間は目が入っていけるほど広い。
鋼は意味も変える。厚紙や合板はアトリエの実験を思わせる。鋼は構造物を思わせる。かつてはもろい着想だった1916年の頭部が、いまは小さな建物の重さを担っている。
それでも核は同じだ。Head No. 2 を見るとき、私たちはやはり、面と面のあいだにあるものでできた顔を見ている。形は素材の中にはない。形は空間の中にある。