エッセイ · 写真
アレック・ソス(Alec Soth)。「I Know How Furiously Your Heart Is Beating」。
Alec Soth. I Know How Furiously Your Heart Is Beating.
写真は部屋を見る。鼓動は見えない。
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詩の一行をタイトルに
タイトルは、アメリカの詩人ウォレス・スティーヴンズ(Wallace Stevens)の詩「The Gray Room」の一行からとられている。その一行はある人に告げる。あなたの心臓がどれほど激しく打っているか、私は知っている、と。語り手は表面上は穏やかな相手を見て、その下で揺れているものを推し量る。
アレック・ソスはこの一行を借りて、写真にひとつの問いを向けた。写真は、写る人の内面をどこまで伝えられるのか。そして、どこで止まるのか。
フランケル・ギャラリーによれば、このプロジェクトは、写真が被写体の内面について語れることの可能性と限界の両方を検証している。写真に何でもできると証明するためではない。役に立たないと言うためでもない。その二つのあいだの線上に、正確に立つためである。
多くの都市の部屋
写真の多くは2017年と2018年に撮影された。すべて室内である。居間、寝室、書斎。人が日々を過ごす場所。
都市の幅は広い。アメリカではニューオーリンズ、ミネアポリス、ロサンゼルス、ブルックリン。ヨーロッパではベルリン、トゥールーズ、ロンドン、オデッサ。タイトルはメモのように短い。「Nick, Los Angeles」。「Yuko, Berlin」。「Galina, Odessa」。「Sonya and Dombrovsky, Odessa」。「Leyla and Sabine, New Orleans」。
人ではなく、その人に属する何かを指すタイトルもある。「Emily's Flowers, Brooklyn」。「Véronique's View, Toulouse」と「Susanne's View, London」は、誰かの部屋からの眺め。人は中心から一歩退いても、毎日見ているものは写真に残る。
大判のカラー写真である。人々は座り、立ち、横たわる。レンズを見ることもあれば、目をそらすこともある。スタジオのようにポーズをとる者はいない。彼らは最も慣れ親しんだ空間にいる。長い年月をかけて選び、並べてきた物に囲まれて。
縮められない距離
以前の作品で、ソスはしばしば長い距離を旅し、川沿いや地域を横切って見知らぬ人を探した。ここでは、ひとつの部屋にもっと長くとどまる。歩みはゆるやかになる。カメラは近くなる。
だが、近いことは理解したことを意味しない。このシリーズが最もはっきり示すのはそれだ。シャツのしわの一つひとつ、棚の上の物の一つひとつ、壁に落ちる日だまりの一つひとつが見える。顔が見え、姿勢が見える。それでも、その人が何を考えているかはわからない。
ソスはその距離を隠さない。作品の中心に置く。一枚一枚がひとつの告白である。カメラに見えるのはここまで。残りは写っている人のもの。
だから部屋は、ほとんど二枚目の肖像になる。テーブルの本、壁の絵、斜めに置かれた椅子。それらは習慣が残した痕跡のように、間接的に人を語る。けれど痕跡は人そのものではない。
そこには敬意がある。撮られた人々は物語に変えられない。そのままに保たれる。自分の部屋にいる誰か。他の誰にも読めない内面をもつ誰か。
本、そしてなぜ残るのか
このシリーズは2019年3月に MACK から写真集として刊行された。ソスと作家ハニヤ・ヤナギハラ(Hanya Yanagihara)の対話を収める。写真集は大判カラー写真の連なりで、一人ひとりについての解説はない。
二十年近く前のミシシッピ川沿いの旅を振り返ると、ソスが向きを変えたことがわかる。あのときは道とその途中の停車地だった。いまは部屋と、その中の見えないもの。
「I Know How Furiously Your Heart Is Beating」が心に残るのは、それが控えめだからだ。誰かの魂を見せるとは約束しない。ただ近くに立たせ、写真の沈黙を通して相手の鼓動を感じさせる。