エッセイ · 嗅覚アート

アレッサンドロ・ピアンジャモーレ(Alessandro Piangiamore)。「Primavera Piangiamore」。

Alessandro Piangiamore. Primavera Piangiamore.

決して嗅がれないことで保たれる匂い。

アレッサンドロ・ピアンジャモーレ「Primavera Piangiamore」:香水を封じた空洞を抱く、有機的なガラスのかたち

Palais de Tokyo · Palais de Tokyo



見知らぬ人々の匂い

2014年、パリのパレ・ド・トーキョーは、ピエール・ベルジェ=イヴ・サンローラン財団が支援するプログラム「Les Modules」の一部を、イタリアのアーティスト、アレッサンドロ・ピアンジャモーレに委ねた。1976年生まれ、ローマを拠点に暮らし、制作している。キュレーターはダリア・ド・ボーヴェ。

展示の中心となるプロジェクトが「Primavera Piangiamore」だった。それはひとつの依頼から始まった。名前を明かさない何人もの見知らぬ人々が、自分の匂い、つまり身につけていた香水をアーティストに渡すことに同意した。それらの匂いは集められ、混ぜ合わされ、誰ひとり身につけたことのない共有の香りになった。

この細部は重要だ。私的な匂いがいったん混ざると、提供者の誰も自分の分をふたたび見つけることはできない。人の匂いは、声や筆跡のように、その人であることのしるしである。この作品では、そのしるしが群衆の中に溶けていく。残るのは誰かの肖像ではなく、何かを手放すという行為の肖像である。

それから香りはガラスの中へ入った。蓋のある瓶の中ではない。ガラスそのものの中、出口のない密閉された空洞の中へ。

千度

これは見かけより難しい。ガラスを封じるには1000°C近い温度が必要になる。その熱では、どんな液体も一瞬で蒸発する。ピアンジャモーレは、香水が消えることなく香水の空洞を封じるために、ガラス吹き職人の技術に頼った。

彫刻の最終的なかたちも、ガラス職人の技に委ねられた。それらは有機的なかたちをしていて、鋳造されたものより、育ったものに近い。パレ・ド・トーキョーによれば、まさにその極度の熱が香りの蒸発を防ぎ、外からは感知できないものにしている。

その結果が、嗅ぐことのできない匂いの彫刻である。来場者は透明な物の前に立ち、空洞を見て、その中に多くの見知らぬ人々の香りがあることを知る。それだけである。作品は見る者に、吸い込むことではなく想像することを求める。

嗅覚アートはふつう、匂いを見る者に近づけようとする。ディフューザー、閉じた部屋、香りをまとった素材。ピアンジャモーレは逆へ向かう。匂いと鼻のあいだに越えられない壁を立て、そのうえで、匂いはすぐそこ、ほんの数ミリ先にあると見る者に告げる。

教会の蝋

同じ展示で、ピアンジャモーレはガラスの作品を「La cera di Roma」シリーズと並べた。ローマの教会から集めた奉納ろうそくの蝋で覆われたパネルである。

奉納ろうそくの一本一本は、名もない誰かの願いである。人は火を灯し、燃えるにまかせ、立ち去る。残った蝋はその願いの痕跡であり、ガラスの中の匂いのように混ざり合っている。ろうそくの蝋にも匂いがある。温かく、かすかに煙たい。小さな教会に足を踏み入れたことのある人なら誰でも知っている匂い。ヴォルフガング・ライプはかつて、来場者がその匂いの中へ歩み入るための蜜蝋の部屋をまるごとつくった。ピアンジャモーレは蝋を、平らで静かな面として保つ。

並べると、二つのシリーズは同じことを語る。多くの人々の名もない痕跡が、ひとつの物に集められている。一方は匂いを閉じ込めることで保つ。もう一方は、炎が消えたあとに残るものを通して祈りを保つ。

「Primavera Piangiamore」が心に残るのは、嗅覚アートではまれな問いを投げかけるからだ。誰にも嗅ぐことのできない匂いは、それでも匂いなのか。作品は答えないことで答える。匂いはまだそこにある。ただ、もう空気のものではない。