エッセイ · 嗅覚アート

アニカ・イー「6,070,430K of Digital Spit」

Anicka Yi. 6,070,430K of Digital Spit.

一度食べた味は、鼻を通って戻ってくる。

アニカ・イー「6,070,430K of Digital Spit」:MIT List Visual Arts Center での生物素材を用いたインスタレーション

展示風景、MIT List Visual Arts Center、2015 · MIT List Visual Arts Center



ケンブリッジの小さな部屋

2015年5月22日から7月26日まで、マサチューセッツ州ケンブリッジの MIT List Visual Arts Center の Reference Gallery で、アニカ・イーの個展が開かれた。タイトルは奇妙な数字、「6,070,430K of Digital Spit」。キュレーターはアリス・ウピティス(Alise Upitis)。

部屋の素材は、並べて挙げるのが難しいものばかりだった。ヘアジェル。カラーコンタクトとサークルレンズ。コンブチャの培養から育てたセルロースの「革」。舞台照明。音。そしてギャラリー全体に広がる匂い、メントール。

これらには共通点がある。体に、身づくろいに、食べることに属するものだ。だがギャラリーの中では機能を失う。レンズは誰の目にも入っていない。ジェルはどの髪も固めていない。今はただの素材である。透明で、べたつき、すぐ乾き、すぐ傷む。

キルトとミント

部屋の作品のひとつは「Our Love Is Bigger Than An AIDS Quilt」と題され、2015年につくられた。素材の一覧には、プレキシガラス、ヘアジェル、コンタクトレンズ、まち針、プロジェクターのレンズ、光、音、メントールが並ぶ。匂いはほかと同じくひとつの素材として記されている。飾りではない。

MIT List によれば、イーはメントールを「Mint Pond」に結びつけた。スペインの名高いレストラン、エル・ブリ(elBulli)でかつて出されていた分子ガストロノミーの一皿で、店はすでに閉じている。2015年のケンブリッジでは、誰もその料理を食べられなかった。店はもうなかった。けれど、それに結びついた匂いなら部屋に持ち込むことができた。

これがイーの記憶の扱い方だ。語り直すのでも、像を見せるのでもなく、感覚の一部を建て直す。味は食べているあいだしか存在しない。匂いは食べ物を離れ、空間を渡り、味を呼び戻すことができる。

ゲノムとしての風味

この展覧会は、イーの長期プロジェクト「The Flavor Genome」とつながっている。ここでの風味は舌よりも広い。MIT List はこの展覧会を、視覚・嗅覚・味覚・聴覚の「風味」と、それが感覚の記憶と憧れをどう生むかへのまなざしとして説明する。

イーは個人の感覚にとどまらない。展覧会は価値についても問う。グローバル市場で、風味にはどう値がつくのか。何がおいしく、何が洗練され、何が望ましいかを誰が決めるのか。MIT List はこれを味覚の政治と呼ぶ。有名店のデザート、目を大きく見せるレンズ、一瓶のヘアジェル。どれもが美と欲望の基準を運んでいる。

傷みやすい素材には理由がある。コンブチャの革は乾いて縮む。ジェルは状態を変える。匂いは日ごとに薄れる。作品は二か月のあいだ形を保たない。自らが語る記憶のように、展覧会とともに老いていく。

展覧会はニューヨークのギャラリー 47 Canal の支援を受け、カタログは MIT List と Mousse Publishing から刊行された。数週間後のバーゼルで、イーはほぼ同じタイトルの別の展覧会を開く。違うのは数字ひとつ、7,070,430K of Digital Spit。記憶がまだ書き続けられているかのように、数字は増えた。