エッセイ · 嗅覚アート
アニカ・イ(Anicka Yi)「Sous-Vide」。
Anicka Yi. Sous-Vide.
匂いが先に届き、像があとから来る。
Anicka Yi, Auras, Orgasms, and Nervous Peaches, 2011(画像提供:Anicka Yi Studio) · ArtReview
見る前に嗅がれる
2011年、アニカ・イはニューヨークの小さなギャラリー、47 Canal で「Sous-Vide」を開いた。来場者は同じことを口にした。見る前に、展覧会を嗅いだと。
匂いは「Sister」という作品から来ていた。頭部。いや、頭部の代わりにある何か。安物の赤いセーターの首元からあふれ出る、天ぷらの花の塊。顔はない。首もない。あるのは花と衣と油だけ。
揚げた花は刺激的な匂いを放つ。空間を占め、服にまとわりつき、人のあとを追って外へ出る。台所の匂い、テイクアウトの店先の匂い。白いギャラリーで予期される匂いではない。
スー・ヴィード(sous vide)は調理法のひとつ。食材を真空の袋に密閉し、低く一定の温度の湯に保つ。制御の技術。その名を借りた展覧会は、制御の及ばないものであふれていた。
ひとつの匂いが退くとき
揚げ物の匂いは長くは続かなかった。時とともに薄れた。それが引いていくにつれ、別の匂いがはっきりしてきた。オリーブオイル。
二つ目の作品「Auras, Orgasms, and Nervous Peaches」は液体を扱った。ギャラリーの壁に穴が開けられ、そこから液体がごぼごぼと音を立てて垂れ落ち、床の樋にたまった。絵を掛けるための壁が、体のようににじみはじめた。
二つの作品はひとつの連なりをなしていた。早く来た人と遅く来た人は、同じ展覧会を嗅いだのではない。作品は空間のなかで静止していなかった。鼻を通って、時間のなかを動いた。
視覚芸術では稀なことだ。今月掛けられた絵は、来月も同じ絵である。「Sous-Vide」は日ごとに変わった。素材がひとりでに古びていったからだ。
ミニマルな部屋の安い食べ物
批評家デヴィッド・エヴェリット・ハウ(David Everitt Howe)は ArtReview に寄せた文で、これらの作品を安いテイクアウトになぞらえた。食べ物と匂いは、ミニマリズムの展示にグロテスクなほど身体的な質をもちこむ、と彼は論じた。それらは物を、機能的な意味で不潔にする。
ミニマリズムは物に、清潔で、明快で、閉じていることを求めがちだ。箱、金属の板、物語もなく、匂いもない。イはその展示の形式を借り、油と衣で台なしにする。物は白い部屋に整然と置かれたまま。けれど漏れ、匂い、変わっていく。
ハウにとって、こうした不潔な物は、観る者の自己の感覚さえ脅かす。匂いは作品と体のあいだの線を越える。ロープの向こうにとどまらない。鼻に、肺に、髪に入りこむ。
ひとつの始まり
アニカ・イはソウルに生まれ、アメリカで育った。「Sous-Vide」は、彼女の方向をはじめて示した展覧会のひとつだった。生きていて、傷み、匂う素材でつくる芸術。のちに彼女はバクテリア、合成された香り、匂いを嗅ぐ機械を扱うようになる。2016年にはヒューゴ・ボス賞を受賞し、グッゲンハイムで展示した。
振り返れば、「Sister」とにじむ壁は、その後の年月の問いをすでに抱えていた。人の形を失ったとき、体とは何か。物は生き、老い、排出できるのか。匂いは彫刻の素材なのか。
同じ問いの別の側面は、彼女がのちにグッゲンハイムで発表した「Life Is Cheap」に現れる。