エッセイ · 嗅覚アート
ベニタ・パーシヤル。「The Fires of Faith」。
Benitha Perciyal. The Fires of Faith.
像は匂い、ひび割れ、そして繕われる。
Kochi-Muziris Biennale 2014 (記事掲載図版) · Art in America
ペッパー・ハウスの一室
2014年のコーチ・ムジリス・ビエンナーレは、インド・ケーララ州コーチの港沿いの古い建物に多くの作品を置いた。そのひとつがペッパー・ハウス。海に面した倉庫群で、かつて胡椒が船を待っていた場所である。チェンナイを拠点とし、マドラスの美術学校を卒業した彫刻家ベニタ・パーシヤルには、修復された倉庫の一室が与えられた。
部屋には人の像が立っていた。ほぼ等身大のイエス像が二体。一体はイチジクの木を彫ったロバに乗っている。マリア。使徒たち。頭、手、じっと立つ体。
訪れた人は、はっきり見る前に作品を嗅いだ。像は樹脂、樹皮、スパイスの匂いを放っていた。香炉は焚かれていなかった。像そのものが香だった。
パーシヤルはこの作品を「The Fires of Faith」と名づけた。けれども部屋に火はなかった。あったのは、誰かが寺院へ運べば火が焼き尽くすであろうものだけ。
香で鋳造する
パーシヤルは素材を自分で作る。樹皮の粉につなぎとしてアラビアガムを混ぜ、ハーブとスパイスを加える。フランキンセンス、ミルラ、シナモン、クローブ、レモングラス、シダーウッド、木炭。混ぜたものを、石膏やブロンズと同じように型に流して形にする。違うのは、この粉に火をつければ煙になることだ。日本の淡路島でも、香の職人たちは香りを形に留めるために樹皮の粉を頼りにしている。
像のまわりにはほかの物もあった。乾いた瓢箪、革、再利用された木、精油の瓶、香水の瓶、日用品。装飾ではない。それらは同じ匂いの体系に属していた。日々の物と聖なる物が並んで置かれる体系に。
素材は壊れやすい。香は石ではない。時とともに表面は乾き、ひび割れ、匂いは褪せる。パーシヤルはそれを損傷とは見なさない。香の像を作るとは、それが修理や修復を必要とし、二度と元どおりにはならないことを受け入れることだ。彫ることと直すことが、ひとつの行為になる。
発想の始まりは、近くのマッタンチェリーの骨董店だった。そこでは植民地時代のキリスト教の小像が売られていて、その多くは腕や脚を失っている。パーシヤルはそれらの壊れた像を、傷物ではなく、時間を通り抜けてきた体として見た。
聖トマスとマラバール海岸
ペッパー・ハウスの一室は、ケーララの古い物語を指し示す。伝承によれば、使徒トマスは磔刑からわずか数十年後の西暦52年にマラバール海岸に着いた。上陸したのはコドゥンガルールの近く。そこはしばしば、ビエンナーレの名の由来である古代の港ムジリスと結びつけられる。
伝承では、トマスはケーララにインド最初の教会を築き、さらに旅を続けて、現在のチェンナイに近いマイラープールで没した。パーシヤルはチェンナイに住んでいる。彼女の作品は、その物語の両端をつなぐ。
彼女が部屋に持ち込んだのは歴史の授業ではない。香辛料とともに生きた海岸の匂いである。シナモン、クローブ、胡椒は、これらの港を通ってローマへ、アラビアへ、ヨーロッパへ渡った。宗教も同じ船でやって来た。「The Fires of Faith」では、信仰と交易がひとつの匂いを分け合う。
信仰は素材の中にはない
ビエンナーレの会期中、ある来場者が腕のないキリスト像に異議を唱えた。パーシヤルはその場に残り、話をした。議論は、聖像が不完全であってよいかという問いから、人が信仰を表すさまざまなかたちへと移っていった。
彼女は地元紙に、信仰は作品に使われる素材にあるのではなく、感受性と感性にあると語った。香を選んだ理由はそこにある。香の像は、永遠に崇められることを求めない。手をかけられ、繕われ、嗅がれることを求める。
小さな細部がひとつ、記憶に残る。作品についてのある記述によれば、マリアの像は母の甘い匂いをまとうよう香で作られた。形でも顔でもない。匂い。子どもが誰かの名を呼べるようになる前に知っているもの。
「The Fires of Faith」が心に残るのは、石にはできないことを像にさせるからだ。変わること。新しいうちは強く匂う。乾くにつれてひび割れる。ビエンナーレの季節が過ぎるにつれて褪せていく。閉幕に訪れた人は、初日に来た人とは違う作品を嗅ぐ。