エッセイ · 写真
キャリー・メイ・ウィームス(Carrie Mae Weems)。「Kitchen Table Series」。
Carrie Mae Weems. Kitchen Table Series.
一つのテーブルは動かず、その上を一つの人生が通り過ぎていく。
ベル・ギャラリー、ブラウン大学 · The Bell Gallery, Brown University
一つのテーブル、一つのランプ
飾り気のない木のテーブル。その上で吊りランプが光の溜まりを落とし、残りは闇に沈む。カメラはテーブルの端に据えられ、木の天板をまっすぐに見通す。その角度は決して変わらない。
これが、キャリー・メイ・ウィームスが1989年から1990年にかけて制作した「Kitchen Table Series」の舞台である。20枚のモノクロ写真と14枚の添えられたテキストパネルからなる。1990年に初めて展示され、以来、20世紀後半のアメリカ写真で最も論じられてきた作品の一つとなった。
ウィームスはこれを自分の台所で、自分のテーブルのまわりでつくった。マサチューセッツ州アマーストのハンプシャー・カレッジで写真を教えていた頃のことだ。時間を見つけられるときならいつでも、夜更けと早朝に制作した。
テーブルの上座の女性
中心の人物は一人の女性で、ウィームス自身が演じている。だが、ふつうの意味での自画像ではない。その女性は作家であり、作家ではない。個人的でありながら、ほかの多くの女性の姿も帯びた、つくられた登場人物である。
テーブルのまわりで、彼女はいくつもの関係を生きる。友人と笑う。娘と勉強する。隣の女性と一杯を分け合う。人生には一人の男がいて、ひとりで座る時間もある。一つひとつの場面が一つの章である。
偶然は何もない。吊りランプの光は注意深く設定されている。テーブルの上の物は意図をもって選ばれ、置かれ、それぞれが場面の中で固有の意味を担う。ポーズも同じだ。そしてイメージは、一つの舞台で演じられる芝居の場面のように、明確な筋に沿って続いていく。
テキストパネルが物語をさらに押し広げる。作家自身の声に、流行歌の一節や大衆文化の断片が混ざり合う。女性は一人の個人を超えていく。まわりの文化全体によって形づくられた人物となる。
権力の場としての台所
台所はふつう、私的な空間、女性の空間とみなされ、公共の生活から切り離されている。「Kitchen Table Series」はその分離を破る。主題は人種、階級、ジェンダー、友情、愛、喪失、権力、母であること。そのすべてが、家の食卓のまわりで展開する。
黒人女性が自らをフレームの中心に、テーブルの上座に置き、カメラをまっすぐ見つめるとき、それはすでに一つの声明である。写真と絵画の歴史の中で、その席が彼女のものだったことはほとんどない。ウィームスはそれを説明しない。ただ場面を重ねて、築いていく。
このシリーズに重みを与えているのは、その日常性だ。大きな出来事はない。あるのは夜、会話、口論と仲直りだけ。それでもその小さなことの中に、誰が権力を握り、誰が待ち、誰の声が聞かれるのかという大きな問いが見えてくる。
なぜテーブルは残るのか
三十年以上たったいまも、「Kitchen Table Series」は繰り返し展示されている。ブラウン大学のベル・ギャラリーは2017年11月11日から12月21日まで展示した。ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートは、1990年のシリーズから2003年に刷られた、プラチナ・パラジウム・プリント20枚とスクリーンプリントのテキストパネル14枚の一揃いを所蔵している。アイデンティティに取り組む後の世代のアーティストたちは、このテーブルに繰り返し立ち返る。
家庭のテーブルはローラ・レティンスキーの静物写真にも現れる。だがそこでは人はすでに去り、パンくずと半分残ったグラスがあるだけだ。ウィームスでは逆である。人は常にそこにいる。テーブルは、人と人が向き合う場所だ。
「Kitchen Table Series」は、人生のいちばん大きなことが、しばしばいちばん小さな場所で語られることを思い出させる。台所。ランプ。引き出され、また押し戻される一脚の椅子。