エッセイ · 嗅覚アート
チャカイア・ブッカー(Chakaia Booker)「Empty Seat」
Chakaia Booker. Empty Seat.
形より先に、匂いが届く。ゴムは、自分がどこにいたかを覚えている。
密閉された通路と、ゴムの匂い
2024年11月1日から12月21日まで、ニューヨークのデイヴィッド・ノーラン・ギャラリー(David Nolan Gallery)で、チャカイア・ブッカーの展覧会「Empty Seat」が開かれた。来場者は両開きの扉を開け、密閉された二つの部屋をつなぐ細い通路に入った。
最初に出会うのは作品ではなく、匂いだった。かすかだが、はっきりしている。工業製造の匂い。物が作られ、化学的に変えられていく匂い。「The Brooklyn Rail」の評者は、そこに奇妙な混ざり合いを感じ取った。新しさと残骸が同時にある。ガレージか工場に足を踏み入れたような。
匂いが道を示した。目が何かをとらえる前に、来場者はそれに導かれて通路を進んだ。密閉された部屋は匂いを内に留め、通りへ流れ出さないようにしていた。
匂いのもとは素材そのもの。部屋の作品はすべて古タイヤでできていた。
街から集めた、焼けてつぶれたタイヤ
ブッカーは街のあちこちから、焼けたりつぶれたりしたタイヤを集める。切り、裁ち、ゆがめ、木の支持体や金属の支えにリベットで留める。骨の折れる作業で、およそ30年をかけて磨かれてきた。
色はゴムの黒。タイヤ製造で加えられるカーボンブラックから来る黒だ。ところどころ表面が金属のような光沢を放つ。別のところでは、リムに隠れた鋼、ビードワイヤーがのぞく。
最大の作品は2006年の「Empty Seat」で、およそ6×15×2フィート。ねじれたゴムが、壁から抜け出そうとするかのように天井へ伸びる。評者はそこに、荒々しく踊るサイボーグの生き物を見た。
その隣には1996年の「Untitled」。解体され、ゆがめられたタイヤの群れを、木枠がかろうじて押しとどめている。2008年の「Bottom Half」は、生き物めいた帯の塊で、壁と床の境に置かれていた。2019年の「Strayed」は手放す。金属の支柱に掛けられた帯が垂れ、巻き、床へこぼれ落ちる。
ゴムは歴史を運ぶ
タイヤは速度や機械、すぐに時代遅れになるものを思わせる。だがゴムには自動車より古い歴史がある。プランテーション、ラテックスを採らされた奴隷と強制労働、土地と人から奪う経済。
評はブッカーの作品をその歴史のなかで読む。ゴムの単一の黒は、モダニズムの伝統と人種的アイデンティティの両方に語りかける。切られ、組み替えられたトレッドの模様は、抽象的にアフリカ的な表情を帯びる。
題名は正反対の二つの考え、空と満ちるを行き来する。空席は、誰かが去ったしるし。同時に、誰かが来るために取っておかれた場所でもある。ブッカーの作品は、記憶と忘却のあいだ、そこに立つ。
評はもうひとつのことを言う。これらのタイヤの存在は、後ろを振り返らない。未来からやって来たように見える。機械の時代の廃棄物から、ブッカーはまだ名前をもたない形をつくる。
なぜ匂いが大切なのか
匂いがなくても、これらの作品は立っているだろう。形があり、量感があり、深い黒がある。けれど匂いがあることで、来場者は忘れずにいられる。これは本物の道を走った本物のタイヤなのだと。
「Empty Seat」の写真は、印象的な黒い形を見せる。部屋のなかでは、もっと多くを知る。この素材は熱をもち、すり減り、燃えた。道の縁石から、廃車置き場から来た。それ自身であることを、やめていない。
だから部屋は密閉されていた。匂いは管理すべき副作用ではない。作品の一部であり、ギャラリーが光を保つのと同じように保たれていた。
多くのアーティストが、匂いをそれ自体ひとつの素材として、意図的にギャラリーへ持ち込んできた。詳しくは嗅覚アートへ。ブッカーの場合、匂いは加えられたものではない。はじめから物のなかにあった。