エッセイ · デザインとしてのファッション
クリスチャン・ディオール(Christian Dior)「Bar Suit」
Christian Dior. Bar Suit.
体の線は、スーツの内側に縫い込まれている。
© Victoria and Albert Museum, London · Victoria and Albert Museum (V&A)
1947年2月の朝
1947年2月12日、クリスチャン・ディオールはパリでメゾンを立ち上げた。最初のコレクションの名は「La Ligne Corolle」。そのモデルのなかで、バー・スーツは最も人気を集めたひとつだった。
アメリカ版「Harper's Bazaar」の編集者カーメル・スノウは、その場で名づけた。ニュールック。その名は元の名より長く生きた。「Harper's Bazaar」はニュールックの服の構造を示す詳しい線画を載せた。バー・スーツは「Vogue」と「L'Officiel」にも登場した。
スーツは二つの部分からなる。腰丈のジャケットは生成りのタッサーシルク。体にぴったり沿い、前中心を共布の三つのくるみボタンで留め、腰にポケット、テーラードカラーとラペル、クリーム色の絹の裏地。スカートは細い黒のウールクレープ。全体にプリーツをとり、硬いタフタのペチコートに据えられ、後ろをホックとスナップで留める。
遠くからは、丸い肩、豊かな胸、手のひらほどのウエスト、そして大きく開くスカートが見える。近くでは、それらがどうつくられたかが見える。
かたちは縫い目にある
バー・スーツで見るべきは、それが体を待たないことだ。体を運ぶ。ジャケットの腰は丸みを出すために詰め物がされている。キルティングした絹のウエストバンドは、ウエストを腰から押し出すかたちにつくられ、実際より細く見える。下の硬いタフタが、ウールのプリーツを落とさずに立たせる。
スーツは構造物だ。着る人は、すでに組み立てられたかたちの中へ足を踏み入れる。V&Aの「Fashion Unpicked」シリーズで、仕立ての専門家スー・クラークはバー・スーツを内も外も調べ、ディオールの意図どおりに体に沿わせた巧みな方法を確かめた。
ディオールは柔らかな女性のシルエットを極限まで押し進めた。なで肩、細いウエスト、広がるスカート。それは戦時の服の逆だった。細身でまっすぐ、肩は角ばり、布を惜しむ服。
配給の時代の布
その惜しみこそが、ニュールックが憤りを招いた理由だ。美術館によれば、ニュールックのウールのデイドレスには通常およそ15メートルの布が、短いタフタのイブニングドレスにはおよそ25メートルが必要だった。イギリスでは、布はまだ配給制だった。
公式の苦情が出た。商務省はそれを抑えようとした。コレクションはロンドンのフランス大使館で、マーガレット王女にひそかに披露された。ニュールックは止められなかった。
振り返れば、バー・スーツは、欠乏の年月に素材で返された答えだ。声明ではない。ただ、より多くの布、より多くのプリーツ、より丁寧に縫われたウエスト。人々はその意味をすぐに理解した。
オリジナルか、再制作か
V&Aのバー・スーツには、それ自身の物語がある。美術館は典型的なニュールックの衣装を求めた。写真家セシル・ビートンが美術館に代わってディオールに連絡し、アヴェニュー・モンテーニュ30番地のクリスチャン・ディオール・パリが、ジャケット、スカート、帽子を送った。
税関の書類に、メゾンはスカートをフィブランヌとウール、ジャケットを生糸のシャンタンと記した。美術館はいま、このスーツが1950年代の再制作かもしれないと考えている。1955年、ソルボンヌでのディオールの講演のためにつくられたのかもしれない。セーヌ河岸の石畳に立つハウスモデルのルネを写した、ウィリー・マイワルドの有名な写真も、マイワルド・アーカイブによって1947年ではなく1955年と年代づけられている。
つまり、1947年を象徴する物が、8年後につくられたのかもしれない。それで価値が損なわれることはない。バー・スーツがすでにひとつの手本となり、説明するために再びつくられ、記憶されるために再び撮られたことを示している。日付よりも、かたちのほうが大事だった。
2019年、このスーツはV&Aの「Christian Dior: Designer of Dreams」で、2月2日から9月1日まで展示された。メゾン全体のもうひとつの読み方は、パリの展覧会「Christian Dior, couturier du rêve」にある。