エッセイ · 嗅覚アート

クロード・ガル(Claude Galle)「香炉」

Claude Galle. Perfume burner.

煙には形がない。だから台座を鋳造した。

クロード・ガル「香炉」:二色の金で仕上げた鋳造鍍金ブロンズの香炉、高さ1メートル近く、パリ、1800年から1810年頃

© Victoria and Albert Museum, London; Miss J. J. Beattie 寄贈 · Victoria and Albert Museum (V&A)



高さ1メートル近い物

ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館は、ブロンズの香炉を所蔵している。鋳造ののち彫金され、鍍金されたもの。高さは約95 cm、直径は約34 cm。卓上の香炉ではない。床に立つ家具の一つで、高さはおよそ腰のあたり。

博物館の記録では、パリ製、1800年から1810年頃。デザインと製作はクロード・ガル、ただし「おそらく」という語が添えられている。博物館は確実だとは言わず、記録に署名への言及もない。

鍍金は磨き上げではなく艶消しで、二つの異なる金の色調で仕上げられ、表面にサテンのような質感を与えている。鋳造のあと、彫金師が細部を手で仕上げ、型だけでは出せない鋭い線を刻んだ。

寄贈者は Miss J. J. Beattie。記録には、よく似た作例が1981年にサザビーズで売られたことも記されている。当時の多くのブロンズと同じく、一点物ではないかもしれない。よい型は、別の顧客のためにしばしば再び鋳造された。

クロード・ガルの鋳造工房

クロード・ガルは1759年、ヴェルサイユに近いヴィルプルーに生まれた。パリで鋳造師ピエール・フォワのもとで修業し、1784年に師の娘と結婚した。1786年に親方鋳造師となり、1788年、フォワの死後に工房を継いだ。

彼はフランス語でいうブロンズィエ(bronzier)、室内のための鍍金ブロンズをつくる職人だった。時計、燭台、花瓶、家具の飾り金具。その経歴を伝える記述によれば、最盛期には工房に約400人が働いていた。1805年、工房はヴィヴィエンヌ通り60番地に移った。

統領政府と帝政のもとで、ガルは国の邸宅に調度を納める部局、ガルド・ムーブル(Garde Meuble)の公式納入業者となった。彼のブロンズはフォンテーヌブロー、サン・クルー、テュイルリー、コンピエーニュ、ランブイエへ運ばれた。帝政期のフォンテーヌブローの装飾ブロンズの大半は、彼の工房から出たものだ。

だから V&A の香炉のような物は、迷い込んだ一点ではない。一つの体系に属している。素描、型、彫金師、鍍金師、そして共通の言葉で調えられた部屋。

アンピール様式の香り

アンピール様式は古代ローマとギリシャに手本を求めた。花瓶、香炉、三脚台。かつて神殿に立っていた物が、客間に持ち込まれた。背の高い鍍金の香炉は、この部屋には儀式がある、と告げる手段だった。

当時のヨーロッパで室内に香を焚くことには、いくつもの目的があった。空気を甘くする。蝋燭の匂い、暖炉の匂い、人いきれを覆う。けれどこのような物において、香りは話の半分にすぎない。残りの半分は存在感だ。火が入っていなくても、香炉はそこに立ち、蝋燭の光を受けていた。

同じ頃、海峡の向こうのイングランドでは、ウェッジウッドの工房が同じ古典への熱から陶製のパスティーユ・バーナーをつくっていた。素材も大きさも違う。問いは同じ。通り過ぎる部屋にふさわしい形を、香りにどう与えるか。パリでのガルの答えは、ブロンズと金。重く、背が高い。

Penta が気づくのは、博物館の記録が素材、鍍金、寸法については多くを語り、中で何が焚かれたかについては何も語らないこと。誰も匂いを書き留めなかった。1805年のパリの部屋の香りは失われた。器だけが残る。

だからこの物には立ち止まる価値がある。釣り合わない証拠。部屋でいちばん軽いもののためにつくられた、大きなブロンズの塊。鋳造、彫金、二色の金による鍍金。すべては、煙に立つ場所を与えるため。