エッセイ · 現代アート

ダラ・バーンバウム(Dara Birnbaum)「Technology/Transformation: Wonder Woman」

Dara Birnbaum. Technology/Transformation: Wonder Woman.

十分に長く繰り返せば、魔法はその枠を見せる。

ダラ・バーンバウム「Technology/Transformation: Wonder Woman」:目を閉じ、両手から光を放つスーパーヒーロー。シリーズからの一場面

Whitney Museum of American Art · Whitney Museum of American Art



繰り返される、数秒のテレビ

1970年代後半、「ワンダーウーマン」はアメリカのテレビでおなじみのシリーズだった。どの回にも人々の待つ瞬間があった。主人公が回転し、光がはじけ、星条旗をまとったスーパーヒーローになる。

1978年から1979年にかけて、ダラ・バーンバウムはその映像を取り出し、編集し直した。できあがったのは5分50秒、音声つきのカラー映像で、ループで上映される。冒頭は炎の炸裂。そして変身、何度も何度も。それから目のまわるような回転、腕輪に跳ね返る弾丸、鏡の間の場面。

ナレーションはない。脇役もいない。一話分の物語が剥ぎ取られ、枠だけが残る。

バーンバウムはこの編集を、引き延ばされた変身の瞬間がつっかえながら進んでいく展開と説明した。彼女の言葉では、物語が走る、回る、男を救うにまで切り詰められたとき、その下にあるテーマが浮かび上がる。

画面を流れる言葉

後半、映像は文字に移る。画面に映るのは、The Wonderland Disco Band による「Wonder Woman in Discoland」の歌詞。キャラクターにちなんだディスコ曲だ。音楽が流れるなか、歌詞が一行ずつ現れる。

これは大事な点だ。スーパーヒーローはシリーズの中だけに生きているのではない。歌として、玩具として、広告として、何度も売り直される。かたちを変えるたびに、ひとつの女性像を連れていく。強いけれど魅惑的、力があるけれど誰かに仕えている。

バーンバウムは言葉で論評しない。断片を並べ、見る人に読ませる。ビートに守られず、歌詞が画面にむき出しで立つと、陽気に聞こえていた一行が、実際に何を言っているのかをあらわにする。

テレビでテレビを語る

バーンバウムは、マスメディアとしてのテレビの映像を素材にした最初期の作家のひとりだった。この手法はのちにアプロプリエーションと呼ばれる。他人のイメージを取り出し、新しい枠に置いて、別のことを語らせることだ。

そのためには、作家がめったに使えない編集機材が必要だった。技術的な作業には、カナダのノバスコシア美術デザイン大学の人々が関わった。当時のビデオテープの編集は、今日よりはるかに遅く、難しかった。繰り返しのひとつひとつが、本物のカットだった。

できあがったものは短く、荒く、リズムはほとんど暴力的だ。テレビの意味で美しくはない。リモコンを持った誰かが、ひとつの場面を巻き戻し続け、ついにその場面がすべての魔法を失ったかのようだ。

なぜあの回転は残るのか

「Technology/Transformation: Wonder Woman」はいま、ニューヨークのホイットニー美術館のコレクションにある。美術館は2015年の「America Is Hard to See」や、それ以前の「Television Delivers People」といった大きな展覧会で本作を展示してきた。

作品を立たせ続けているのは、見ることの教え方だ。この映像を見たあとでは、画面の中の変身を同じようには見られない。カットが、置かれた光が、まなざしに仕えるよう整えられた身体が、見えはじめる。

同じ頃、ほかの女性作家たちも、なじみの役割をレンズの下に置いていた。たとえばマーサ・ロスラーの台所と、調理道具のアルファベット。ロスラーは自分の身体を使った。バーンバウムは、すでに存在するイメージの身体を使った。二人が問うたのはひとつ。女性がどう見えるべきかを決めたのは誰か。

イメージが一日に何百万回も切られ、ループされ、共有される今日、バーンバウムの方法はほとんど予言のように見える。彼女は、繰り返しが決して無垢ではないことを示した。