エッセイ · 現代アート
ドナルド・ジャッド(Donald Judd)「15 untitled works in concrete」
Donald Judd. 15 untitled works in concrete.
物は動かない。だから光が動ける。
撮影:Florian Holzherr。提供:Chinati Foundation · The Chinati Foundation
草原のコンクリートの箱
テキサス州のはるか西、マーファのはずれ。低く乾いた草原に、15群のコンクリートのユニットが長い列をなして立つ。列はチナティ財団の敷地の境界に沿って続く。ドナルド・ジャッドがかつての陸軍駐屯地フォート・D.A.ラッセルの跡地につくった美術館だ。
ひとつひとつのユニットは、2.5×2.5×5メートルの空洞の箱。壁は厚さ25センチのコンクリート板。両端が開いたもの、片側が閉じたもの、内壁で仕切られたものがある。群ごとにユニットの数も並べ方も違う。一列に、平行に、三角形に。
台座はない。柵もない。ユニットごとのラベルもない。地面にじかに置かれ、野原の真ん中に残された用途のわからない構造物のように見える。
チナティによれば、これは美術館で最初に設置された作品。1980年から1984年までの4年をかけて、ディア芸術財団の支援のもと、現地で打設され組み立てられた。
ひとつの寸法、多くの変奏
ジャッドはよくミニマリストの一人に数えられるが、本人はその呼び名を嫌った。彼の作品は、工業素材による単純な反復のかたちに何度も立ち返る。鋼、アルミニウム、合板、コンクリート。
コンクリートの作品は、その方法をもっともはっきり示す。外寸は変わらないので、目は大きさの違いに引かれない。変わるのは内側。どこが開き、どこが閉じ、どこで仕切られるか。そしていちばん大きく変わるものは、作家の手の外にある。
朝、日差しは開口部から斜めに差しこみ、箱の中に長い光のかたまりを置く。正午、影はほとんど消えるまで縮む。午後遅く、影は草の上に伸び、ユニットとユニットをつなぐ。列に沿って歩くと、背後の土地が開口部越しに現れ、消え、また現れる。連続するコマのように。
時計はいらない。十分に長くいれば、影の長さが時刻を告げる。
一度置いたら、動かさない
1978年、ジャッドはディア芸術財団の支援を得て、フォート・D.A.ラッセルの修復を始めた。チナティは1987年、独立した非営利の美術館として一般公開された。現在、敷地は340エーカーに及ぶ。
チナティは、芸術作品は置かれたら二度と動かされるべきではない、という考えの上に立っている。ジャッドは短期の展覧会を信用しなかった。作品が木箱に詰められ、運ばれ、別の白い部屋に掛け直されること。彼は、芸術と建築と風景がともに考え抜かれ、据えつけられることを望んだ。訪れた人が戻ってきたとき、同じ場所で出会えるように。
コンクリートの作品は、その考えのもっとも素朴な証し。動かすことはできない。重く、その場で打設され、地面に結びついている。この草原、この光、この地平線に属している。
切り取られた風景
マーファの土地は広く、まばら。草原は遠くの低い山並みまで続き、空はほとんどいつも晴れている。そんな空間では、目はさまよう。コンクリートのユニットがそれを受けとめる。開口部のひとつひとつが額縁になり、じっくり見るのにちょうどいい大きさに土地を切り取る。
この点で、ジャッドのユニットは同じ時代のランド・アートに近い。たとえばユタ州の砂漠にあるナンシー・ホルトの「Sun Tunnels」。そこでもコンクリートの管が空を切り取る。けれどジャッドは、夏至や冬至にも星にも何も合わせなかった。同じ箱を並べて置き、あとは一日にまかせた。
15の群は、40年以上そこに立っている。まわりで草が伸び、枯れた。コンクリートは日と雨に風化した。物はほとんど変わっていない。ただ光だけが、毎日、もう一度それらを描き直す。