エッセイ · 現代アート
ドリス・サルセド(Doris Salcedo)「Untitled」
Doris Salcedo. Untitled.
埋められた空洞も、やはり空洞。
Tate · Tate
もう働かない家具
1998年の「Untitled」は、テートが所蔵するドリス・サルセドの作品。素材の記載は簡潔だ。木、セメント、金属。寝室や居間で見かけるような家庭の家具。けれどその内側はセメントで満たされている。
遠くから見れば、まだ家具。近づくと、空いているはずの場所にセメントが詰まっているのが見える。引き出し、仕切り、扉の隙間。何も開かない。もう何も収められない。物は機能を失い、重く押し黙った塊になった。
1958年ボゴタ生まれのサルセドは、1990年代を通じて、セメントを詰めた家具のシリーズをつくった。衣装だんす、テーブル、椅子。どれにも固有の名はない。すべて「Untitled」と呼ばれる。
残された人々の証言から
コロンビアは数十年にわたる武力紛争を経験した。多くの市民が殺され、連れ去られ、あるいは跡形もなく消えた。家族には答えのない問いと、いなくなった人の持ち物が残された。
サルセドの1990年代の作品は、そうした市民の犠牲者の証言からじかに生まれた。彼女は残された人々の話を聞いた。暴力の像で彼らの物語を語り直すことはしなかった。家庭の物、日々の暮らしにいちばん近い物を選んだ。
かつて誰かの服をしまっていた衣装だんす。かつて誰かが座って食事をしたテーブル。その人がいなくなっても、家具は残る。待っているかのように。サルセドはその待つことを取り出し、固めた。
沈黙としてのセメント
セメントは工事現場、基礎、壁の素材。家の中には属さない。衣装だんすの胴体に流しこまれると、二つの世界がぶつかる。私的な暮らしと、冷たく、硬く、動かないもの。
シリーズのいくつかの作品では、木の割れ目や隙間が白いセメントで封じられている。ある家具が別の家具に押しこまれていることもある。できあがるのは、重い不在の感覚を帯びた物。名前は刻まれていないが、記念碑に近い。
見る者には何の物語も語られない。犠牲者の写真も、日付も、地名もない。ただ物がひとつ。そして何も語られないからこそ、見る者は立ち止まって問わざるをえない。これを使っていたのは誰で、その人はいまどこにいるのか。
なぜ残るのか
サルセドは、戦争の時代に芸術をつくるとはどういうことかを問い続けてきた。1995年には、失踪した女性たちの靴で「Atrabiliarios」をつくった。2007年には「Shibboleth」をつくった。テート・モダンのタービン・ホールの床を貫く長い亀裂。どの作品も、同じ傷に触れる別の方法。
レイチェル・ホワイトリードの「House」と並べると、家をつなぎとめるためのコンクリートの二つの使い方が見えてくる。ホワイトリードは取り壊しの決まった家の内側を型取りし、その空っぽの空間のかたちを残した。サルセドは家具にセメントを詰め、その空間を封じた。一方は空虚を明かす。もう一方は埋める。
「Untitled」は、見る者にコロンビアを理解することを求めない。見慣れた物を、使えなくして、目の前に置くだけ。あとはその見慣れた感じにまかせる。