エッセイ · 嗅覚アート
エドガー・カレル(Edgar Calel)「Ch'ablin nu rayb'el Chua taj ab'ej」
Edgar Calel. Ch'ablin nu rayb'el Chua taj ab'ej.
石は記憶を保つ。土は匂いを保つ。
「Several Eternities in a Day」展示風景、2026年、Hammer Museum。Edgar Calel によるインスタレーション。撮影 Jeff McLane · ARTnews
最初の展示室にある山
2026年春、ロサンゼルスのハマー美術館で「Several Eternities in a Day: Form in the Age of Living Materials」が開幕した。会期は4月5日から8月23日まで。集められたのは、生きた素材を扱う作家たち。設置のあとも変化し、朽ち、姿を変え続けるもの。
来場者が最初に出会うのはエドガー・カレルだ。彼は最初の展示室を山の風景に変えた。輪郭のはっきりした茶色い土の山が、壁の足もとに沿って整然と並び、来場者を奥へと導く。山のあいだには巨石。縞のある砂岩と、軽く多孔質の溶岩。
石の上には供物。乾いた花。乾いたユーカリ。そして黒く変わった、酸化した血だまり。展覧会についての文章によれば、血は作家自身のもの。彼がその場で執り行った儀式の名残だ。
タイトルはカクチケル語で「Ch'ablin nu rayb'el Chua taj ab'ej」。おおよそ、石の上に飛び散った私の願い。部屋を説明はしない。誰が痕跡を残し、それがどこにあるかを告げるだけだ。
マヤ・カクチケルと、記憶する石
エドガー・カレルは1987年、グアテマラ中西部高地の町サン・フアン・コマラパに生まれた。カクチケル語ではチ・ショトと呼ばれる町だ。今もそこに暮らす。マヤ・カクチケルの芸術家と職人の家系の出身。ドローイング、絵画、インスタレーション、パフォーマンス、彫刻を手がけるが、どの形もひとつの源に戻っていく。彼が育った高地の儀礼と文化的遺産。
マヤ・カクチケルの宇宙観において、石は死んだ物質ではない。石には感覚があり、祖先の記憶を宿す。だから石に供物を置くことは装飾ではない。先に生きた人々と語り合うための方法だ。
展示室の壁に、カレルは薬草と天然の顔料で壁画を描いた。その線は下にある土の山の形と呼応する。本物の土と描かれた土、二つの層が山の地形を部屋いっぱいに広げる。展覧会を論じた書き手たちは、この地形を作家の故郷コマラパに結びつけている。
カレルは自らの実践を、分かち合いと語ってきた。グアテマラの風景と、共同体の、祖先の記憶を分かち合うこと。とりわけ、帰ることのできないグアテマラの人々と。ロサンゼルスには大きなグアテマラ人コミュニティがある。その多くにとって、ハマー美術館のこの部屋は、故郷の地に立つことにいちばん近い場所かもしれない。
雨上がりの土の匂い
来場者が形より先に感じとるのは匂いだ。湿った腐葉土が、強く、なじみのある匂いを放つ。雨が上がったばかりの地面のように。匂いは部屋を満たし、土の山のあいだの道を歩く人々についていく。
美術館が匂いを許すことはめったにない。空気は濾過され、湿度は一定に保たれ、作品が変わらないようにすべてが清められる。カレルが持ち込むのは、まさに美術館がふだん締め出すもの。土、血、枯れ葉、湿気。これらの素材は会期中も変わり続ける。血は黒ずむ。葉はさらに乾く。土は沈む。
だからこの作品は展覧会のテーマにかなう。固定された像ではない。何か月もかけて、ゆっくりと、今も起きつづけている場所だ。匂いはそのもっとも明らかな証拠。素材が生きているあいだしか、匂いは存在しない。
歴史が忘れたがる素材を抱えるオトボン・ンカンガの壁のように、カレルの土の山は、距離によってかすんだ記憶を抱えている。来場者にカクチケル語は要らない。土の山のあいだをゆっくり歩き、鼻に導かれればいい。石は残る。土は呼吸する。儀式は終わった。けれど、その痕跡は終わっていない。