エッセイ · 嗅覚アート
フリードリヒ・クナト「Frutti di Mare」
Friedrich Kunath. Frutti di Mare.
感傷に理屈はいらない。匂いがあればいい。
Hyperallergic のための撮影 · Hyperallergic
小説のような展覧会
2017年9月9日から10月14日まで、ロサンゼルスの Blum & Poe はフリードリヒ・クナトの個展「Frutti di Mare」を開いた。タイトルはイタリア料理の名、ひと皿に盛った魚介の盛り合わせから借りている。展覧会も同じつくりだった。多くの異なる種類の物が、つながったいくつもの部屋に並べられた。
クナトは1974年、当時東ドイツだったケムニッツに生まれ、ロサンゼルスに暮らす。彼の絵にはしばしば夢のような風景、夕焼けの空、そして半分冗談、半分告白の手書きの言葉がある。
「Frutti di Mare」はその考えを軸に組まれていた。Hyperallergic に寄稿した批評家ジェニファー・レメンチック(Jennifer Remenchik)は、これを愛される相手が作品そのものであるラブストーリーと評した。芸術家とその芸術。そこにともなう献身、憂鬱、自嘲のすべてとともに。
靴下、鏡、ペンギン
部屋にはカーペットが敷かれていた。鏡、ペンギンの彫刻、モーターで回るカンバス、縦に立てたピアノ。いたるところに派手な色のタイダイのチューブソックスがあり、床に散らばり、テレビモニターに掛けられていた。
大きな布には「Gee, it's nice to be alone」と書かれていた。油彩とアクリルの絵のタイトルは「Love Shouldn't Make Sense」。
ひとつの部屋では映画が上映された。線路の上の年配の男から始まる。展覧会の絵や彫刻の多くが、映画のなかに小道具として現れる。部屋を歩くのは、撮影隊が去ったあとの映画のセットに入るようだった。
レメンチックは、この展覧会が誠実な身ぶりと突然の不遜な瞬間を混ぜ合わせていると書いた。憂鬱、気まぐれ、郷愁。並んで歩く愛と死。
香水瓶の群れ
いくつかの絵の近くに、クナトは香水瓶の群れを置いた。ブランドは前に出されず、商品として陳列されてもいなかった。瓶はまとまって立っていた。透明な物たちの小さな家族のように。
そして空間全体の空気には、意図して持ち込まれた淡い花の匂いがあった。壁のテキストはそれを告げなかった。来場者は部屋でしばらく過ごしてから、ようやくそれに気づいた。
匂いは絵にできないことをした。絵は壁にとどまり、人は好きなように近づき、離れる。匂いは人を包む。その外に立てる距離はない。カンバスのロマンチックな一行は、半笑いで読める。花の匂いは、それを嘲る時間を与えない。
感傷的であることを恐れない
現代アートはしばしば感情を警戒する。ロマンスは安っぽい、浅はかだとすぐに退けられる。クナトはその領域にまっすぐ入っていく。夕焼け、やさしい言葉、花の匂い。多くの芸術家が避けるものを使う。
だが彼はそれを素朴には使わない。明るい靴下、ペンギン、靴下をかぶせた画面が、すべてをユーモアのほうへ引き寄せる。来場者はいつも二つの状態のあいだにいる。信じたい気持ちと、笑いたい気持ち。
花の匂いは、その二つの状態が出会う場所だ。淡く控えめで、それでいて無視できない。絵の下で静かに立つ瓶のように、そしてアニカ・イーの「Biography」の香水のように他の芸術家がギャラリーに持ち込んだ香る物のように、それは芸術が目を通さず別の道で見る人に届きうることを思い出させる。