エッセイ · 写真
ガブリエーレ・バジリコ「Milano. Ritratti di fabbriche」
Gabriele Basilico. Milano. Ritratti di fabbriche.
見ようとすれば、建物にも顔がある。
PAC Milano · PAC Milano
工場の肖像
ガブリエーレ・バジリコは1944年にミラノで生まれ、2013年に亡くなった。写真へ向かう前に建築を学び、その訓練は仕事の生涯を通じて彼とともにあった。量塊へ、ファサードへ、建物が空間にどう立つかへの注意。
1978年から1980年にかけて、彼はミラノの工業地区を歩いてまわった。稼働中の工場も打ち捨てられた工場も、大きな工場も小さな作業場も撮った。煉瓦の正面、鉄の門、煙突。
プロジェクトの名は「Milano. Ritratti di fabbriche」、ミラノ、工場の肖像。肖像という言葉は意図されたものだった。バジリコは工場を労働の物語の背景として撮ったのではない。顔を撮るように、主題として撮った。
プロジェクト全体は体系的な調査だった。それは街の産業の織物の身分証明書のように働いた。街が変わる前に、建物をひとつずつ記録していく。
強い日ざし、休日、無人
バジリコは自分に厳しい条件を課した。影がくっきり落ちるよう、明るい日ざしのなかで撮った。車も人も通りから消える祝日や休みの日に撮った。
結果は、とても静かな白黒の写真群だ。工場の正面ははっきりと現れ、光と闇の明快な面に分かれる。屋根、柱、煙突の影が、引かれた線のように壁を横切る。何も動かない。
人の不在は写真を冷たくしない。建物を唯一の登場人物にする。見る人は車にも通りすがりの労働者にも気をそらされない。残るのはかたちと光だけだ。
強い日ざしは注目すべき選択だ。多くの建築写真家は均一な光のために曇り空を好む。バジリコは逆をした。強い光に建築の本質を明かさせた。まっすぐなランプが顔の線を明かすように。
1983年の展覧会
1983年3月10日から4月11日まで、ミラノの PAC(Padiglione d'Arte Contemporanea)はこのプロジェクトの個展を開いた。200点を超える写真から100点が選ばれ、30 x 40 cm の白黒でプリントされた。
プロジェクトは書籍にもなった。『Milano, Ritratti di Fabbriche』は Sugarco Editore から刊行され、カルロ・トニョーリ、マルコ・ロマーノ、カルロ・ベルテッリが文章を寄せた。
PAC はこのプロジェクトを二つのアプローチの出会いとして示した。ひとつは記録の方法。都市の一地域全体を体系的に網羅すること。もうひとつは解釈のまなざし。光を使って、建築とは何かを明かすこと。この出会いが、連作を記録であり作品でもあるものにしている。
このやり方は、同じく産業建築を一貫して撮った給水塔のベルント&ヒラ・ベッヒャーを思わせる。だがベッヒャー夫妻がすべての構造物に同じ光が当たるよう曇り空を選んだのに対し、バジリコはそれぞれの建物が自分の顔をもつよう強い日ざしを選んだ。
変わる前の街
1970年代の終わり、ミラノはまだ工業都市だった。その後の数十年で多くの工場が閉鎖され、取り壊され、あるいはオフィスや住宅、文化施設に変えられた。バジリコが撮った工業の風景は、少しずつ昔のかたちを失っていった。
だから、はじめは調査だった連作は、ゆっくりと別の意味を帯びた。それはかつての街を記録している。これらの建物のいくつかは、いまでは30 x 40 cm のプリントのなかにしか存在しない。
バジリコはその後、ほかの多くの街を撮り、イタリアでもっとも重要な都市写真家のひとりになった。だが始まりはここだった。休日のミラノの無人の通り、日を浴びた工場の壁の前。