エッセイ · デザインとしてのファッション
ガブリエル・シャネル「Fashion Manifesto」
Gabrielle Chanel. Fashion Manifesto.
言葉ではなく、布で書かれたマニフェスト。
© CHANEL / 撮影:Nicholas Alan Cope / 提供:Victoria and Albert Museum, London · Victoria and Albert Museum (V&A)
英国で初めて
「Gabrielle Chanel. Fashion Manifesto」は2023年9月16日に V&A サウス・ケンジントンで開幕し、2024年3月10日まで開かれた。博物館はこれを、このフランスのクチュリエールの仕事を扱う英国初の展覧会として紹介した。
展覧会はパリ・ミュゼ(Paris Musées)と、パリ市のファッション美術館パレ・ガリエラ(Palais Galliera)とともにつくられた。プロジェクトはそこで始まり、ロンドンへ巡回した。200を超えるルックが集められた。多くはパリの Patrimoine de CHANEL のアーカイブから来たもので、ほかは V&A 自身のコレクションに属する。
ねらいは率直に述べられていた。シャネルのメゾンの創設と、彼女のスタイルが数十年をかけてどう育ったかをたどること。伝記ではない。物を通して語られる物語である。
1937年、パリのカンボン通り31番地で撮られた写真には、眼鏡をかけ、大きなネックレスをつけて机に向かうシャネルが写っている。この住所は錨のように働く。仕事の場所。考えが服になった場所。
部屋のなかの物
V&A が名を挙げるもっとも古い品は、1916年春夏のマリニエール・ブラウス。Vネックのクリーム色の絹である。水夫の上着は労働着だった。シャネルはそのかたちを都市の女性の衣装箪笥に持ち込み、そのゆとりと動きやすさを残した。
次に、リボンで結ぶ1917年の茶色の絹の帽子。1932年秋冬の赤いフィッシュテールのドレス。1935年のドレス二着。ひとつは腰にベルトを締めた白い襟のバーガンディ・レッド、もうひとつは小花柄とパフスリーブの白い絹オーガンザ。1937年から1938年の、黒いスパンコールにフリルの白い絹チュールを合わせたパンツスーツは、V&A のコレクションから。
舞台衣装もあった。1924年、シャネルはバレエ「Le Train Bleu」に、青とピンクのニットのトップスとショーツを着せた。衣装よりビーチウェアに近い。それらが示すのはひとつのこと。体は動く必要があり、服はそれについていくべきだ。
そしてツイードのスーツ。1959年秋冬コレクションのツイードを着て、シャネルの靴を履き、2.55 のバッグを持つモデル、マリー=エレーヌ・アルノーの写真。その近くに、紺とピンクで縁取り、金ボタンをつけた1964年秋冬のクリーム色のスーツ。同じかたちが季節ごとに続き、変わるのは縁取りと布だけ。
写真のなかの香り
服のあいだに、1955年にニューヨークでエド・ファインガーシュが撮った写真が掛かっていた。シャネル N°5 をつけるマリリン・モンロー。クチュリエールは香水に数字で名をつけた。バッグを 2.55 と名づけたように。形容詞もなく、喚起的なイメージもない。ただの記号。
ここで香水は服や宝飾と同じ列に立つ。それらはひとつのシステムに属している。かたちは簡素で、用途は明快で、毎日のためにつくられた物。V&A はまた、ローレン・バコールが着た手縫いのツイードスーツや、ダイアナ・ヴリーランドが着たスパンコールのパンツスーツなどを近くから撮った映像をつくり、縫い目や裏地、ジャケットが内側からどう組み立てられているかを見られるようにした。
展覧会はマニフェストという言葉を選んだ。シャネルにはほとんど言葉がいらなかった。彼女のマニフェストは反復だった。黒、クリーム色、ジャージー、ツイード、チェーン、ラベルの数字。十分に長く繰り返されると、それらは名前を読むより先に、部屋の向こうから人が見分ける言語になった。
「Fashion Manifesto」から残るのは、その静けさだ。舞台装置が物を飲み込むことはなかった。どのルックも静かに立ち、縫い目を確かめられるほど近かった。長く見ていると、スタイルがひとつの有名な品に宿るのではないことがはっきりする。同じものを何度も何度も選ぶことに宿る。