エッセイ · 嗅覚アート
ヤン・ヘギュ「Sallim」
Haegue Yang. Sallim.
台所は、壁ではなく匂いで知られる。
展示風景、「Haegue Yang: ETA 1994–2018」、Museum Ludwig, Cologne, 2018. © Haegue Yang/Saša Fuis · ARTnews
鉄骨の台所
2009年、ヤン・ヘギュは第53回ヴェネツィア・ビエンナーレに韓国代表として参加し、韓国館で個展「Condensation」を開いた。会期は2009年6月7日から11月22日まで、コミッショナーはジュ・ウンジ。三つの作品のひとつが「Sallim」だった。
「Sallim」は、ヤンが暮らし、制作もしていたベルリンのアパートの台所の、原寸大の模型。室内の複製ではない。煉瓦の壁も、木の戸棚もない。台所は鉄骨と穴あき鋼板で組み直され、空中に描かれた立体の素描のよう。
作品は高さ約2.5メートル、長さ4メートル以上、奥行き約3メートル。枠の中には、ケーブル、電球、扇風機、ベネチアンブラインド、そして量産品と手仕事の物がある。台所の道具がある。光がある。風がある。
そして匂いがある。枠に仕込まれた香りの発生装置が食べ物の匂いを放ち、扇風機が台所に空気を送る。来場者が入るのは、目には骨組みに見え、鼻には誰かが料理しているように匂う台所。
訳しにくい言葉、サルリム
サルリム(Sallim)は、おおよそ家の切り盛りを意味する韓国語。料理、掃除、整理、まかない。無償の仕事、だからめったに数えられない仕事。
ヤンは台所を準備の場所と見る。韓国館の言葉でいえば、行動への準備と生活の組み立ての場であり、商業の圧力の外にある空間。人が働きに、会いに、つくりに出ていく前に、その人を食べさせた台所がある。
作品はまた、1960年代と1970年代のフェミニズム・アートを振り返る。多くの作家が、過小評価された家事労働について語った時代。台所は長いあいだ、誰も職場と呼ばない女性の職場だった。ヤンはそれを、ヴェネツィアの国家館に置いた。
けれど「Sallim」は宣言として語らない。静か。光と扇風機と匂いだけ。
Condensation(凝結)
展覧会のタイトルは「Condensation」。冷たいガラスに水蒸気が集まって滴になるように。ヤンはこの像を、間接的な伝達のために使った。見知らぬ人どうしのあいだで交わされる、はっきりした機能をもたないのに、存在にとって意味のある情報。
匂いは、そうした凝結。台所の匂いは具体的なことを何も言わない。何が、誰によって、誰のためにつくられたかを告げない。けれど嗅いだ人はすぐに知る。ここには暮らしがある。誰かが留まった。
館のほかの二作も同じ方向を行く。「Doubles and Halves, Events with Nameless Neighbors」は、見過ごされた二つの場所、ソウルのアヒョン洞とビエンナーレの会場そのものをつなぐビデオ・エッセイ。「Series of Vulnerable Arrangements, Voice and Wind」は、色とりどりのベネチアンブラインドに工業用扇風機と香りの発生装置を重ねる。「Voice and Wind」についてのエッセイを参照。
二つの場所のあいだの作家
ヤン・ヘギュは1971年ソウル生まれ。ベルリンとソウルを行き来して制作する。その移ろう暮らしが「Sallim」に表れている。ベルリンの台所が、韓国の名を冠した館のために、ヴェネツィアで組み直される。荷物のように運ばれる家。
生まれた場所から遠く暮らす人にとって、台所はしばしば、家がいちばん長く続く場所。新しい言葉を話し、新しい服を着ることはできる。けれど自分の台所の食べ物の匂いは、なかなか変わらない。「Sallim」はそれをはっきりとは言わない。それでも、韓国の作家のベルリンの台所がイタリアで展示されること自体が、すでにひとつの地図。
「Sallim」はのちにニューヨークの MoMA のコレクションに入った。枠、電球、扇風機、香りの発生装置は彫刻として保管されている。けれど生きている部分は、機械が動き、空気が流れ、匂いが出てきたときにだけ戻ってくる。
台所が台所であるために、壁はいらない。かつてそこで料理した誰かがいればいい。