エッセイ · 現代アート

ヤン・ヘギュ「Series of Vulnerable Arrangements, Voice and Wind」

Haegue Yang. Series of Vulnerable Arrangements, Voice and Wind.

瓶の上の名前は、場所ではない。

ヤン・ヘギュ「Series of Vulnerable Arrangements, Voice and Wind」。工業用扇風機と香りの発生装置がある部屋に吊られた、アルミのベネチアンブラインド

Solomon R. Guggenheim Museum · Solomon R. Guggenheim Museum



ブラインド、扇風機、香りの発生装置

「Series of Vulnerable Arrangements, Voice and Wind」は、ヤン・ヘギュによる2009年のインスタレーションで、現在はニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館のコレクションにある。寸法は空間ごとに変わる。

素材の一覧は素っ気なく読める。アルミのベネチアンブラインド、アルミの枠、工業用扇風機、香りの発生装置、そして香り。作品のために特別につくられたものは何もない。すべて買える。

ブラインドは薄い仕切りとして吊られ、部屋を通路に分ける。扇風機が回り、羽根板が揺れる。その動きのあいだに、香りが装置から漂い出る。来場者は歩いて抜け、羽根板のすきまから覗き、ほかの人を細い帯としてしか見ない。

主となる視点はない。部屋の真ん中に置かれた物もない。作品は、風と、すきまからの光と、扇風機の音と、匂いの総和。

六つの名前

グッゲンハイムは六つの香りを名前で記している。Buddha Temple、Fresh Cut Grass、Rainforest、Ocean Mist、Cedar Wood、Eucalyptus。

並べて読むと、一覧は旅の地図のよう。アジアの寺、郊外の芝生、熱帯の森、海岸。そのすべてが化学的につくられ、同じ機械で売られている。

美術館によれば、ヤンは、移ろいやすく、文化に結びつき、崇高な感覚を、なぜ大量生産がとらえようとするのかを問う。寺の匂いは二つの場所で同じではない。木に、香に、火をともす人に、季節によって変わる。機械はそれを収められない。収められるのは名前だけ。

ニューヨークのギャラリーで Buddha Temple がアルミのブラインドを抜けて漂うとき、名前と場所の距離はとてもはっきりする。来場者は何かを嗅ぐ。その何かが何であるかは、それぞれが自分で埋める。

部屋の真ん中の家庭の物

ブラインドと扇風機は家のもの。美術館はそれらを、家への暗示として、同時に空間を分け、見る人を周囲から、そして互いから隔てる仕切りとして読む。

ヤンの作品はしばしば、旅、移動、場所と場所のあいだの暮らしをめぐる。ブラインドは、プライバシーのために下ろすもの。扇風機は、部屋が蒸すときにつけるもの。公共の空間に持ち込まれると、私的なものが展示される。けれど特定の誰かの物語は語らない。

だからタイトルは vulnerable という語をもつ。すべてが軽い。羽根板は揺れ、香りは薄れ、光は角度で変わる。何も定まっていない。配置は、扇風機が回りつづけるあいだだけ保たれる。

ひとつの通路に三つの感覚

グッゲンハイムはこの作品を、嗅覚、触覚、視覚がひとつに崩れ合う環境と記す。目は羽根板を見て、肌は風を感じ、鼻は香りをとらえる。どの感覚も先に立たない。

そのため「Voice and Wind」は写真に撮りにくい。写真に残るのはブラインドと扇風機だけ。もっとも大切な二つ、風と香りは消える。その部屋に立ったことのない人には、アルミのインスタレーションしか見えない。

だからこそ、この作品は像よりも長く残る問いを置いていくのかもしれない。車に、ホテルに、店に、私たちのまわりの香りに印刷された名前は、どんな場所を約束しているのか。そして私たちは、実際にそこへ行ったことがあるのか。同じシリーズの別の作品は「Version Utrecht」で取り上げている。