エッセイ · 嗅覚アート

濱田庄司「Incense Box」。

Hamada Shōji. Incense Box.

物は日々使われて美しくなる。

濱田庄司「Incense Box」。1960年につくられた、香を入れる蓋付きの小さな炻器の箱

© The Board of Trustees of the Tate Gallery; © The estate of Shoji Hamada · Tate



名前と年

ロンドンの Tate は「Incense Box」と題された作品を所蔵している。登録番号 T12103。作者は濱田庄司。制作は1960年。素材は炻器。

Tate のオンライン記録はごく短い。紹介文も、添えられた物語もない。ページ上では、コレクションにある濱田のほかの作品と並んでいる。茶碗、日々の茶のための湯呑、急須、角皿、九角の壺、茶の湯の水指。多くは1940年代から1960年代のもの。

だからこの箱は、ほとんど言葉を伴わずに見る者のもとへ届く。わかっているのは、香を納めるためのものであること、誰がいつ作ったか。それ以外のこと、形も、釉も、手に持ったときの重さも、その前に立つことでしか知りえない。

Penta はそれらを推測しない。言えるのはただ、香合は素材が何であれ、いつも同じ役目を果たすということ。香の欠片を、火のそばに置かれるまで乾いたまま覆っておくこと。

益子とセント・アイヴス

濱田庄司は1894年に生まれ、1978年に没した。V&A によれば、日本の民藝運動を代表する陶芸家のひとり。

彼の道を形づくった人物が二人いる。ひとりは民藝の理論を打ち立てた思想家、批評家の柳宗悦。もうひとりはイギリスの陶芸家バーナード・リーチ。1920年代初め、濱田は渡英し、コーンウォールのセント・アイヴスでリーチがリーチ・ポタリーを築くのを助けた。

1924年から、濱田は東京の北東にある焼き物の町、益子で暮らし、制作した。そこは器がつくられる場所であって、芸術の都ではなかった。濱田は大都市よりもそこを選んだ。器を集める人々よりも、使うための器をつくる人々の近くを。

のちに日本は彼を人間国宝に認定した。伝統工芸の保持者に与えられる称号。地方の焼き物の村の陶工が、国全体の宝と名づけられた。

驚異ではなく、使うための物

民藝運動は20世紀初頭の日本で、社会的かつ美的な運動として起こった。V&A によれば、それはイギリスのジョン・ラスキンやウィリアム・モリスと考えを共有していた。手仕事を尊び、工業化と大量生産を憂い、日本の民衆的工芸を守り、よみがえらせようとした。

その精神のもとでは、美は使うためにつくられたふつうの物に宿る。飯碗。湯呑。香を入れる箱。どれも台座を必要としない。日々よく働くから美しい。

濱田の箱を、人の背丈を超える青銅の香炉や、前の時代の金蒔絵の箱の隣に置けば、その距離ははっきりする。そうした物において、香りは見せるための機会だった。ここでは、香りは家の暮らしの一部であり、茶や米と同じ高さにある。

この箱が記憶に値するのは、その静けさゆえ。美術館はほとんど何も語らない。作り手が従った民藝の精神は、多くを語る必要のない物を尊んだ。そして、かつて中にあった香は、すべての香と同じく、とうの昔にどこかへ行った。残るのは炻器の箱。これからも何度も開けられるだけの丈夫さをもって。