エッセイ · 嗅覚アート

ヒシャム・ベラダ(Hicham Berrada)。「Mesk-ellil」。

Hicham Berrada. Mesk-ellil.

昼に招き入れられた夜の匂い。

ヒシャム・ベラダ「Mesk-ellil」:月光を模した灯りの下で夜香木を育てる、色付きガラスのヴィトリーヌの列

作家および kamel mennour, Paris/London 提供 · Hicham Berrada (official artist site)



七つのヴィトリーヌ、一種の花

「Mesk-ellil」はガラスケースの中に据えられた庭だ。作家のサイトによれば、作品は色付きガラスのテラリウム7基からなり、それぞれ250 × 200 × 50 cm。あわせて一辺およそ5メートルの空間を満たす。中で育つのはただ一種。Cestrum nocturnum、英語で night blooming jasmine、日本では夜香木と呼ばれる植物である。

この植物にはひとつの決定的な性質がある。花は夜にしか香りを放たない。昼、緑がかった白の小さな房は静かに立ち、ほとんど匂わない。日が暮れると香りが広がり、庭を満たすほど強くなる。ベラダのサイトは、それをライムのひと気配をもつジャスミンと記している。

ヒシャム・ベラダは2015年から2019年にかけて「Mesk-ellil」を制作した。作品はいくつもの場所で展示されてきた。2019年には、ヴェネツィアのプンタ・デラ・ドガーナで開かれた展覧会「Luogo e Segni」の一部となった。彼のギャラリーはカメル・メヌール(Kamel Mennour)である。

昼と夜を入れ替える

美術館は昼に開く。夜香木は夜に香る。二つの時間割は決して重ならない。ベラダはこれを光で解く。

どのヴィトリーヌも、固有の気候をもつ閉じた環境だ。中には二種類の灯りがある。植物が昼とみなす時間のための植物育成灯と、夜とみなす時間のための月光灯。切り替えはタイマーが行う。その結果、植物の夜はギャラリーの開館時間に訪れる。

植物は香りを放つよう強いられてはいない。ただ別の空を与えられているだけだ。いまも暗闇を待ち、屋外の同じ種と同じように光に応える。ただその暗闇を人がつくっている。

ひとつの細部は立ち止まるに値する。匂いは、像のようにはヴィトリーヌの中にとどまらない。ガラスは植物のために気候を保ちながら、来場者はなお嗅ぐよう招かれる。だから作品は二つの観察のしかたを差し出す。目は枠の中の夜の庭を見る。鼻はその庭に、すぐ外にあるかのように出会う。戸外で、日没からずっとあとに。目はここがギャラリーだと知っている。鼻はそれほど確かではない。

来場者はヴィトリーヌをのぞき込み、夜の情景を見る。背後にはギャラリーの昼の光がある。一日の二つの時刻が、一枚のガラスを隔てて並ぶ。片側に人の時間。もう片側に植物の時間。

別の時計に合わせた庭

ベラダはしばしば、制御された条件の下に置いた自然の過程を扱う。化学反応、成長、物質の変容。彼が枠をつくり、素材が演じる。「Mesk-ellil」では枠は光と時間であり、演じるのは植物だ。

作品は、私たちがめったに気づかないことを指し示す。植物の香りは昼と夜のリズムに従う。早朝に香る種もあれば、午後遅くに香る種も、真夜中にしか香らない種もある。夜、この植物の生け垣のそばを歩いたことのある人は、鼻でそれを知っている。ベラダはその知を部屋に持ち込み、観察するものに変える。

「Mesk-ellil」には、植物育成灯を道具とする作品のなかに親類がいる。たとえばマーティン・ロスのラベンダー畑。そこでは灯りがリツイートの速さに従う。だがベラダはニュースについて語っているのではない。植物の内にある時計について語っている。

この作品が心に残るのは、来場者に時間を嗅がせるからだ。壁の時計の時間ではなく、一輪の花の時間。人と出会えるよう、数時間ずらされた時間。