エッセイ · 嗅覚アート
マーティン・ロス(Martin Roth)。「I cultivated a piece of land in Midtown Manhattan nurtured by tweets」。
Martin Roth. I cultivated a piece of land in Midtown Manhattan nurtured by tweets.
ネットの騒音が光になる。光が匂いになる。
展示風景、Hyperallergic のための撮影 · Hyperallergic
地下の畑
オーストリア文化フォーラム・ニューヨークは、ミッドタウン・マンハッタンの真ん中、11 East 52nd Street にある。2017年の春、その地下に畑があった。天井の育成ライトの下、六列に並ぶ200株のラベンダー。
オーストリアの作家マーティン・ロスによるこの作品には、日記の一行のような長い題がある。「In May 2017 I cultivated a piece of land in Midtown Manhattan nurtured by tweets」(2017年5月、私はツイートに養われたミッドタウン・マンハッタンの土地を耕した)。ロスはこうした文字どおりの題で知られる。作品の名が、そのまま作品の説明である。
展示は2017年6月21日まで続いた。Hyperallergic によれば、ラベンダーは甘く強く香り、列に近づく前から、離れた場所の訪問者に届いたという。
リツイートを追う光
変わっているのは光である。ランプはタイマーでは動かなかった。二十ほどの Twitter アカウントを追う小さな Raspberry Pi につながれていた。@POTUS、@realDonaldTrump、報道官ショーン・スパイサー、大統領顧問ケリーアン・コンウェイ、そして CNN や Fox News などの大手メディア。
それらのアカウントが盛んにリツイートされると、光は明るくなった。ネットが静かなときは暗くなり、ときに真っ暗になった。植物が受ける光の量、つまり食べ物は、ネット上の政治的な言い争いのリズムにすべてかかっていた。
ごく直接的な変換である。画面の言葉が電気になり、電気が光になり、光が葉になり、葉が匂いになる。地下にいる人はツイートを一つも読まない。ただ嗅ぐだけ。けれど嗅いでいるのは、目にすることのない何千ものシェアの結果である。
だから訪れる人は、同じ畑に二度と出会わない。物議をかもす発言があった日、部屋は煌々と照る。静かな日、列は暗がりに立つ。植物は誰が何を言っているかを知らない。光があるかどうかを知るだけだ。その無関心も作品の一部である。植物が応えるのは音量であって、内容ではない。
ラベンダーは偶然の選択ではない。休息と結びついた、やわらかくなじみのある匂いのために人が育てる植物である。それを当時のアメリカでもっとも声の大きいアカウントに動かされる光源の下に置くことで、ロスは説明なしに訪問者が感じとる対比をつくる。
一時の畑
Hyperallergic は、作品に添えられた考えを記録している。畑は一時的なものにすぎず、それがもたらす静けさもまた一時的だ。どう先へ進むかは私たちしだいである。
それで作品の読まれ方が変わる。畑はニュースからの逃げ場ではない。ニュースが、より遅く静かな別の言葉に訳される場所である。ツイートの命は数時間。ラベンダーは何週間もかけて育つ。その匂いは、ネット上のどんな嵐よりも長く部屋に残る。
生きた植物をギャラリーに持ちこむ作品はほかにもある。ローマの礼拝堂のプレシャス・オコヨモンの庭のように。けれど植物を、データの流れのように目に見えないものと結びつけた作品は少ない。ロスはデータをグラフにしない。育てるのである。
この作品が心に残るのは、ソーシャルメディアが画面の上だけのものではないと示すからだ。電力を食い、時間を奪い、この地下では匂いさえ持つ。