エッセイ · 嗅覚アート
ジェームズ・「アシーニアン」・スチュアート、ディーデリッヒ・ニコラウス・アンダーソン「Perfume Burner」
James 'Athenian' Stuart, Diederich Nicolaus Anderson. Perfume Burner.
建築家は、部屋の匂いまで設計した。
© Victoria and Albert Museum, London · Victoria and Albert Museum (V&A)
金銅の三脚台
香炉は高さ54cm近く、幅約27cm、奥行きは最大28.8cm。鋳造し、彫金し、鍍金した青銅で、英語でオルモルと呼ばれる素材。大理石の台座に据えられている。香炉と蓋の二つの部分からなる。1760年頃ロンドンでつくられ、いまはヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のイギリス・デザインの展示室にある。
かたちは古代ギリシャの古典的な三脚台にもとづく。神殿や同様の記念建造物に立っていた物である。V&A の解説によれば、ギリシャとローマの三脚台はもともと生贄の祭壇のために考案され、その後、新古典主義のデザイナーたちにさまざまなかたちで取り入れられた。
鉢の縁には三つの差しこみ口がある。燭台のついた三本の枝を受けるためのものだった。ダービーシャーのケドルストン・ホール(Kedleston Hall)にあるよく似た香炉には、いまも枝がついている。V&A の作例にはない。
V&A はこれを初期の作例と呼ぶ。解説によれば、スチュアートはロンドンのスペンサー・ハウス(Spencer House)のためにこれを設計した。
建築家と金工師
設計者はジェームズ・スチュアート。1713年にロンドンで生まれ、1788年に同地で没した。ニコラス・レヴェット(Nicholas Revett)とともにアテネの古代建築を測り、描いたことから、「アシーニアン(アテネの)」スチュアートと呼ばれた。二人の「Antiquities of Athens」第1巻は1762年に刊行された。
その図面は、ローマの模倣を経ずに、ギリシャ建築を直接イギリスへもたらした。スチュアートはそれを貴族の邸宅と庭園に用いた。庭園の神殿、凱旋門、そしてテーブル、スタンド、壺、三脚台などの調度。この香炉もその一群に属する。
V&A によれば、つくり手はおそらくディーデリッヒ・ニコラウス・アンダーソン。1767年に没したロンドンのオルモル職人である。スチュアートが描き、アンダーソンが鋳た。建築家がかたちを与え、職人がそれを金属に変えた。
ロンドンのサー・ジョン・ソーンズ博物館には、似た香炉のためのスチュアートの素描が残る。ひとつには燭台の枝があり、もうひとつにはない。V&A によれば、これは枝が選択式だったことを示す。同じ物が、部屋を香らせることも、香らせながら照らすこともできた。
図面に描きこまれた匂い
この香炉を特別なものにしているのは、美しさだけではない。誰が描いたかである。部屋全体の比例を計算する建築家が、その部屋を香らせる物の設計にも時間を割いた。
つまり匂いは、天井や壁や家具と並んで考えられていた。あとから足されたのではない。香炉は部屋のほかの部分と同じ言語を話す。ギリシャ風で、均整がとれ、系譜がはっきりしている。それが放った匂いは、その意味で、デザインの一部だった。
香炉にかつて何が入っていたかを語る記録はない。このエッセイは推測しない。残るのはかたちで、匂いがどれほど真剣に扱われたかを示すにはかたちで足りる。匂いが後回しなら、客間に金銅の神殿の三脚台を置く人はいない。
40年以上のち、ウェッジウッドは「Dolphin Tripod」の練り香炉で、同じ三脚台のかたちを焼いた粘土に移した。スチュアートの金銅からウェッジウッドの黒い粘土へ、かたちは大邸宅からより普通の家へと降りていった。スチュアートの香炉を覚えておく価値があるのは、それがその道の起点に立っているから。部屋の匂いも自分の仕事だと、一人の建築家が決めた瞬間に。