エッセイ · 現代アート
ジェニー・ホルツァー(Jenny Holzer)。「Installation for Bilbao」。
Jenny Holzer. Installation for Bilbao.
誰かの服をとっておくことは、その人をとっておくこと。
Guggenheim Museum Bilbao · Guggenheim Museum Bilbao
九本の光の柱
グッゲンハイム・ビルバオ美術館、フランク・ゲーリー(Frank Gehry)が設計した天井の高い湾曲した展示室に、九本の光の柱がまっすぐ立つ。それぞれが高さ12メートルを超える両面のLEDサインである。言葉が柱に沿って、止まることなく流れる。
これがジェニー・ホルツァーの「Installation for Bilbao」。美術館はこれを1997/2017年の作品としている。美術館が開館した年と、その二十年後。
文字は三つの言語で流れる。バスク語、スペイン語、英語。バスク語は、ビルバオがあるバスク地方の言語である。それを二つの大きな言語の隣に置くのは、意図された選択だ。
作品は美術館の常設コレクションで、ギャラリー101にある。グッゲンハイム・ビルバオを訪れる人は誰でも、その前を歩いて通ることができる。
「Arno」の言葉
言葉は「Arno」から来ている。ホルツァーがエイズ研究のためのチャリティ企画のために最初に書いた一連のテキストである。1996年、「Arno」はフィレンツェでの屋外プロジェクションのために翻案された。その一年後、ビルバオに来た。
「Arno」の言葉は短く、一人称で書かれ、誰か別の人に宛てられている。I say your name(あなたの名前を呼ぶ)。I save your clothes(あなたの服をとっておく)。固有名はなく、具体的な状況もない。読む人には、誰が語っているのか、誰に語りかけているのか、その人がどこへ行ったのか、わからない。
それでも調子ははっきりしている。相手が亡くなったあとに残された人の声。言葉は親密さを、死を、喪失を語る。物語は語らない。誰かを恋しく思うときに人がする小さなことを記録する。名前を呼ぶ、持ち物をとっておく、繰り返す。
ホルツァーはそれ以前から長年、言葉とLEDサインで仕事をしてきた。短い文を公共の空間に置き、通りすがりの人が意図せず読むことに慣れていた。ビルバオでは、もっとも私的な言葉が、もっとも大きな光の柱の上を流れる。
曲線のなかの直線
ゲーリーの建物には直線がほとんどない。壁は曲がり、天井は湾曲し、金属と石の面は向きを変えつづける。ホルツァーの九本の柱は完全にまっすぐで、等間隔に、床から立ち上がる。
美術館は柱を、展示室を横切る、堂々としていながら通り抜けられる障壁と説明する。訪れる人は壁の前のようにその前に立つこともできるし、二本の柱の隙間を抜けて向こう側へ行くこともできる。
言葉の光は磨かれた石の床に落ち、長い色の筋となって伸びる。部屋は文字の色とともに変わる。言葉は一度で読むには速すぎる。見る人は一文をとらえ、見失い、また別の一文をとらえる。
美術館はこの作品を、私的なものと公的なもののあいだの脆い境界をめぐる交渉として位置づける。亡くなった人にささやかれた言葉が、いまは人でにぎわう美術館で、四階建ての建物より高い柱の上を流れている。
光になった言葉
印刷された言葉はじっとしている。これらの言葉はそうではない。現れ、過ぎ、消え、戻ってくる。作品を読むことは、誰かが同じことを何度も繰り返すのを聞くことに似ている。何度も口にすれば痛みが和らぐかのように、あるいはより本当になるかのように。
その繰り返しは、亡くなった人を思い出すしかたに近い。ひとつの大きな記憶ではなく、一日に何度も戻ってくる小さな断片。名前。シャツ。ひとつの癖。
ホルツァーが「Arno」を書いたころ、エイズはまだ多くの命を奪っていた。同じ時期、ほかの作家たちもごくありふれた物を通して喪失を語るすべを見つけていた。愛した人の体重と同じ重さのキャンディの山をつくったフェリックス・ゴンザレス=トレスのように。ホルツァーは言葉と光を選んだ。
「Installation for Bilbao」は、思い出される人の名前を語らない。だからこそ、その前に立つ誰もが、自分自身の名前を当てはめることができる。