エッセイ · 写真
ジョー・スペンス(Jo Spence)。「The Picture of Health?」。
Jo Spence. The Picture of Health?
カメラを持つ人が、物語を語る。
© Terry Dennett、提供:Jo Spence Memorial Archive, Ryerson Image Centre, Toronto · Aperture
街の写真館から、政治的な像へ
ジョー・スペンスは商業写真家として出発した。1967年から1974年まで、ロンドンの商店街で写真館を営んだ。結婚式、家族写真、パスポート写真。人がレンズの前でどう見られたいか、どうすればそう見えるかを、よく知っていた。
その年月が、彼女に写真を疑わせた。毎日撮る結婚式や家族の写真は、ひとつの型に従っていた。女性はきれいで、ほほえみ、ふさわしい場所にいなければならない。1970年代半ばから、彼女は別の方向へ向かった。
1973年、ロンドンで Children's Rights Workshop を共同で設立。1974年、パートナーであり長年の協働者であるテリー・デネット(Terry Dennett)とともに、自宅のフラットに Photography Workshop を立ち上げた。彼女は自分を教育的な写真家、あるいは文化の働き手と呼んだ。彼女にとって写真は飾りではなかった。権力、ジェンダー、階級について問いを立てるための道具だった。
診療所のなかのカメラ
1982年、スペンスは乳がんと診断された。ほかの患者と同じように医療の制度に入った。並び、待ち、診察され、告げられる。その制度のなかで、患者にはほとんど声がないことに気づいた。身体は見られ、測られ、記録されるが、尋ねられることはめったにない。
1982年から1986年まで、彼女はその過程をカメラで記録した。プロジェクトの名は「The Picture of Health?」。疑問符は意図されたものだ。健康であることは、写真ではどう見えるのか。そして、それを撮る権利は誰にあるのか。
彼女は写真家マギー・マレー(Maggie Murray)と組んだ。写真は、病棟の、ベッドの上の彼女の身体を、医療の写真がふつう省く瞬間に映す。じっと横たわる症例ではなく、レンズを見返すひとりの女性。
プロジェクトはまた、彼女が西洋医学とあわせて中国の伝統医学に向かったことも記録している。スペンスはそれを答えとしては示さなかった。自分で探し、自分で決めることの一部として記録した。
自分をフレームに入れる
同じ年月、スペンスは写真家ロージー・マーティン(Rosy Martin)とともに、コ・カウンセリングのセッションから引き出した写真のつくり方を編み出した。二人は交代で役を演じ、人生の奥深くに沈んだ像を再演した。戦時中の働く女性としての母、結婚式の日の花嫁。そしてそれを撮影した。目的は、社会が女性にあてがう型を解体することだった。
1986年、彼女は写真による自伝「Putting Myself in the Picture」を出版した。個人的であり、同時に政治的な一冊。題名が彼女の仕事を言い表している。ほかの人に置かれるのではなく、自分で自分をフレームのなかに置くこと。
ジョー・スペンスは1992年に亡くなった。最後の年月も撮りつづけた。彼女の写真はいま、アーカイブや美術館にあり、写真が病む身体をどう見るかが語られるたびに取り上げられる。
ピーター・フジャー(Peter Hujar)のPortraits in Life and Deathと並べると、スペンスの写真にはひとつの違いが見える。ここでは、ベッドの人が、カメラを持つ人でもある。見られる者と見る者のあいだに、距離がない。