エッセイ · 写真

ジョエル・スタンフェルド(Joel Sternfeld)。「American Prospects」。

Joel Sternfeld. American Prospects.

ありふれたものと奇妙なものが同時に見えるところまで、十分に下がって立つ。

ジョエル・スタンフェルド、バージニア州マクリーン、1978年12月:手前にカボチャの売り台、背後に燃える家、カラー写真


路上の大判カメラ

1970年代の終わり、ジョエル・スタンフェルドはグッゲンハイム・フェローシップを得て、アメリカ各地を旅しはじめた。大判カメラとカラーフィルムを携え、東海岸からアラスカまで、風景と町と人々を撮った。旅は1978年から1980年代のはじめまで、何年もつづいた。

1987年、写真は「American Prospects」として出版された。prospect とは遠くへの眺めであり、見通し、つまり未来でもある。だから題はふたとおりに読める。アメリカの光景と、アメリカの行く先。

この本はほどなく、カラー写真の初期の里程標のひとつに数えられた。当時、カラーはまだ多くの人にとって広告や家族のスナップのものと見なされていた。スタンフェルドの写真は、同世代のカラー写真家たちの写真とともに、カラーを美術館へ運び入れる力になった。

燃える家とカボチャ

シリーズでもっともよく知られた一枚は、1978年12月、バージニア州マクリーンで撮られた。手前にカボチャの売り台。消防士がカボチャを選んでいる。その背後で家が燃え、近くに消防車が停まっている。

この写真は、説明なしで成り立つ。初めて見る人は、誰の家なのかも、火がどう始まったのかも知らない。ひとつの画面に二つのものを見る。災厄と、まったくありふれたことをしている男。そのあいだの隔たりが、奇妙な静けさを生む。

そのアイロニーはシリーズ全体を貫いている。1979年3月、サンアントニオのケリー空軍基地に、日常の光景のただなかでスペースシャトル・コロンビアが着陸する。アラスカ州ホーマーには打ち捨てられた貨物船が横たわる。1983年、カリフォルニア州キャニオン・カントリーの一場面。どの光景もありふれていて、どれもわずかにずれている。

批評と愛着

「American Prospects」は、アメリカの美しくないものを多く見ている。産業の衰退、区画に切り分けられた土地、小さな暮らしのあいだに置かれた大きな事業。だがスタンフェルドは嘲らない。写真の中の誰も、笑いものにされていない。

このシリーズを改めて紹介したブルース美術館は、彼が自国を見るまなざしにおける、批評と愛着の均衡について語った。彼は不条理を見たが、そこに生きる人々のしぶとさも見た。

カメラの距離が助けになる。遠くからだと人は小さくなるが、見捨てられはしない。木や家や空と同じく、光景の一部である。季節もそこにある。雪、秋の葉、夏の光。長い一年の章のように。

ゆっくり見ること、と呼べばいい。瞬間をつかみとらず、奇妙なものを狩らない。写真家はじっと立ち、光景の中のすべてを等しい明瞭さで存在させ、ずれを見つけるのは見る者に任せる。アイロニーは指し示されない。ただ待っている。

40年後に振り返る

2024年10月から2025年1月まで、コネチカット州グリニッジのブルース美術館は、「American Prospects」から40点を超える大判のカラープリントを展示した。有名な作品も、一度も展示されたことのない写真も含まれていた。ゲストキュレーターはロバート・ウォルターストーフ(Robert Wolterstorff)。同時に Steidl が本の新版を刊行した。

新しいプリントは大きく、およそ50×60インチのものもある。この大きさなら、見る者は写真の中へ歩み入り、本のページでは十分に見せきれない細部を見つけられる。

40年が経ち、多くの場所は変わった。見る方法はいまも有効だ。後ろへ下がり、待ち、光景にその奇妙さを明かさせる。同じく大判カメラで長い道を旅した同時代の写真家に、スティーブン・ショアがいる。スティーブン・ショア「Uncommon Places」を参照。