エッセイ · 写真

リチャード・ミズラック「On the Beach」

Richard Misrach. On the Beach.

岸のない水の広がりに、小さな身体。

リチャード・ミズラック「On the Beach」。青い海を見下ろす。画面の中に小さく浮かぶ海水浴客

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浜辺の上のバルコニー

2001年11月、世界貿易センターとペンタゴンへの9月11日の攻撃から数週間後、リチャード・ミズラックは8x10の大判カメラをハワイの浜辺へ持っていった。ホテルの部屋のバルコニーに立ち、真下に向けて撮った。

下にあったのは、ありふれた休暇の光景だった。砂の上で日光浴をする人、泳ぐ人、浮かぶ人。けれどその高さから、レンズを真下に向けると、光景は意味を変えた。地平線はない。岸もない。青い平面と小さな人影だけ。

ミズラックは何年も同じ浜辺、同じバルコニーへ戻った。最初の段階はおよそ5年続いた。Fraenkel Gallery のページの写真には2012年、2013年、2015年、2018年の年が記され、彼がそれをはるかに超えて戻り続けたことを示している。

縁のない水

Fraenkel Gallery はこのシリーズを二つのものを通して語る。縁のない海面の抽象的なパターンと、漂う海水浴客の身ぶりや表情。写真の中で、二つはいつも一緒にある。

水が画面のほとんどを満たす。さざ波、きらめき、濃い青と淡い青のまだら。十分に長く見ていると、ほとんど抽象になる。そしてその面のどこかに、ひとつの身体。ときに二つ、三つ。その姿勢、差し伸べた腕、のけぞった頭が、物語のすべてになる。

岸がないので、見る人には人影が陸からどれほど離れているかわからない。砂浜から数メートルかもしれないし、大洋の真ん中かもしれない。その知りえなさが、写真を落ち着かないものにしている。

小説から借りた題

「On the Beach」は、ネヴィル・シュートが1957年に書いた小説の題でもある。核戦争のあと、放射性降下物の到来を待つ最後の生存者たちの物語。題は、その影を穏やかに見える写真の中へ運び込む。

このシリーズを紹介する美術館は、9月11日のあとの空気を指摘する。国じゅうに広がった、身体的にも心理的にも傷つきやすいという感覚。ミズラックは廃墟も群衆も撮らなかった。休んでいる人々を撮った。けれど画面の枠が、その休息を宙づりに変える。

それが枠の力だ。同じ人々を砂の上から目の高さで撮れば、休暇のスナップになる。上から撮り、岸と地平線を取り除くと、名もない広い空間の中の孤独な身体になる。ミズラックは浜辺の何ひとつ変えなかった。変えたのは、立つ場所だけ。

海水浴客に自由を見る人もいる。孤立を見る人もいる。時とともに、ひとり浮かぶ人影の像は、ミズラック自身にとってより形而上的なものになった。

スケールと距離

プリントはとても大きい。Fraenkel Gallery によれば、額装で幅3メートル近いものもある。その大きさだと、見る人はミズラックがバルコニーに立ったのとほとんど同じように写真の前に立ち、見下ろすことになる。

題は Untitled と、日付と時刻だけ。Untitled (November 10, 2012, 5:53PM)、Untitled (January 17, 2015, 6:36PM)。地名も人名もない。一枚一枚が特定の瞬間でありながら、人々は名もないままだ。

これは「Desert Cantos」とは違う。そこでミズラックは土地に残る人の痕跡を撮った。ここでは人そのものを撮る。ただし遥か上から、痕跡のように小さく。浜辺の一人ひとりと向き合う逆のアプローチはリネケ・ダイクストラ「Beach Portraits」に。