エッセイ · 写真

Josef Koudelka. Exiles.

家はない。道だけがある。

Josef Koudelka「Exiles」:ヨーロッパを渡り歩いた亡命の年月に撮られた、「Exiles」シリーズのモノクロ写真

© Josef Koudelka · Magnum Photos



プラハを離れる

1968年8月、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻した。写真を撮りはじめて間もない若い技師だったヨゼフ・クーデルカ(Josef Koudelka)は、プラハの街頭にいた。戦車を、群衆を、銃口の前に立つ人々を撮った。

写真は国外へ密かに持ち出され、撮影者の名を伏せて世界中で発表された。1969年、匿名の写真家は Overseas Press Club からロバート・キャパ・ゴールドメダルを贈られた。自分と家族を危険にさらさずに、本名で受け取ることはできなかった。

1970年、クーデルカはチェコスロバキアを離れ、政治亡命を求めた。まもなくマグナム・フォトに加わる。1987年にフランス国籍を得て再びパスポートを持つまで、無国籍のままだった。

寝袋と十五年

十五年ほどのあいだ、クーデルカはほとんど何も持たずに暮らした。寝袋がひとつ。靴が一足。靴下が二足。ズボンは年に一本。上着が一枚。シャツが二枚、それで三年もった。家は買わず、部屋も借りなかった。多くの夜を外で眠った。

依頼仕事は受けず、金のために撮ることもなかった。自分のために撮った。移動しつづけ、祭りや人の集まる場所を探し、どこにも三か月以上はとどまらなかった。

アイルランドからスペインへ、イングランドからスイスへ、生まれ故郷のチェコスロバキアから、のちに第二の故郷となるフランスへと旅した。35mm のモノクロで撮った。残したコンタクトシートは数万枚にのぼる。

フレームのなかにあるもの

「Exiles」の写真が出来事を報じることはまれだ。小さな場面である。雪の上の犬、道ばたの男、駅のホーム、野原、誰もいない街角。人の少ない写真が多く、写っている人も背を向けているか、遠くに立っていることが多い。

フレームはしばしば詰まっていて、黒い面が広く、光は硬い。撮影者はいつも縁に立っているように見える。群衆の、町の、儀式の縁に。自画像もある。数少ないそれらのなかで、亡命者は自分のフレームのなかへ踏み込む。

郷愁を直接語る写真は一枚もない。だがまとめて見ると、世界を自分の属さない場所として見つめる男の姿が現れる。属さないからこそ、彼はとても近くで見る。

携帯電話もメールもない時代だった。当時の亡命者は、あとにした場所から本当に切り離されていた。手紙は遅く、帰ることはできなかった。「Exiles」の写真はどれも、帰り道がないことを、少なくとも長いあいだはないことを知っていた人によって撮られた。

本と、その再訪

「Exiles」は1988年、パリのロベール・デルピール(Robert Delpire)によって初めて本として刊行され、ニューヨークの Aperture から英語版が出た。自らも亡命者だった詩人チェスワフ・ミウォシュ(Czesław Miłosz)の文章に、ロベール・デルピールとスチュアート・アレキサンダーの文章が添えられている。のちの版では新たに十点の写真と新しい解説が加わった。

2017年2月、パリのポンピドゥー・センターは、1968年から1980年代初めまでの写真による「Exiles」展を開いた。未発表の写真や自画像も含まれていた。付随する本の題は「La Fabrique d'Exils」。

ブライアン・ゴルツェンロイヒター(Brian Goeltzenleuchter)の「Scents of Exile」、匂いで亡命を語る作品と並べて読むと、二つの道が同じ問いにたどり着く。去る人は何を持っていくのか。ゴルツェンロイヒターはその答えを香りに探す。クーデルカは光に、そして家へと続かない道に探す。

「Exiles」はひとつの生を語り直すのではない。帰る場所のなかった年月に、ひとりの男が見たものをとどめている。