エッセイ · 現代アート
志賀理江子「螺旋海岸(Rasen Kaigan)」
Lieko Shiga. Rasen Kaigan (Spiral Shore).
海は奪い、そして断片にして返す。
© Shiga Lieko · Getty Museum
村の写真家
2008年、志賀理江子は日本の東北地方にある海辺の集落、北釜に移り住んだ。人口およそ370人の小さな場所。記者として来たのでも、題材を探す芸術家として来たのでもない。彼女は村の写真家になった。
それは、村が撮ってほしいものを撮ることを意味した。祭り、行事、日々の暮らし、人々。彼女はそこで暮らし、一軒一軒を知り、その写真は少しずつこの場所の記録になっていった。
けれど志賀の写真は、ふつうの記念写真とはまるで違う。夜に撮ることが多く、強いフラッシュ、きつい色、演出された構図。住民たちも像づくりに加わった。どこに立つか、何を持つか、どう動くか。結果は現実であり、同時に夢のようでもある。浅い眠りを通して見た村。
ゲッティ美術館はこの時期の作品、2009年の「Portrait of Cultivation」を所蔵している。
2011年3月11日
2011年3月11日、東北沖でマグニチュード9.0の地震が起き、津波を引き起こした。北釜では50人を超える人が亡くなった。多くの家が流された。志賀が3年間撮ってきた村は、かつての形をほとんどとどめなかった。
災害のあとも、志賀は去らなかった。彼女は別のことを始めた。波が岸へ運んできた写真を集めること。ゲッティによれば、彼女は3万枚を超える写真を集め、洗い、仕分けた。
結婚式の写真、誕生日、学校の肖像写真、家の前のスナップ。多くはひどく傷んでいた。乳剤が浮き、色がにじみ、顔が半分消えていた。それでも、傷んでいても、それはある家族にとって残されたすべてだった。洗って保管し、身内が引き取りに来るのを待つことは、芸術ではない静かな仕事だった。けれどそれは、志賀の写真の理解を変えた。
螺旋の海岸
「螺旋海岸」は、志賀が北釜で過ごした時間から生まれたシリーズの名で、津波の前の年月とその後の時期にまたがる。ゲッティはこのシリーズから6点を展示し、1点を所蔵している。美術館の Photographs Council の資金で購入されたものだ。
螺旋という言葉は、まっすぐには流れない時間を思わせる。前とあとが互いに巻きつく。災害の前に撮られた村人たちの演出写真は、そのあとで見返すと、まったく別の意味を持つ。写っている人の何人かはもういない。写っている場所のいくつかも、もうない。
志賀のフラッシュは、人や物を闇から呼び出されたように飛び出させる。2011年以前、それは美的な選択だった。2011年以後、それは儀式のように感じられる。見るのにちょうど足りるだけの短い光。そしてすべてがふたたび夜へ沈んでいく。
共有された記憶としての写真
私たちはふつう、写真を一人の行為と考える。写真家が見て、選び、署名する。「螺旋海岸」は別のことを問う。これは誰の写真なのか。志賀のものか、演出を手伝った村人たちのものか、それとも消えた場所そのもののものか。
岸から集めた3万枚の写真は志賀のものではない。名もない撮影者たち、ふつうの家族のものだ。けれど彼女がそれを自分の作品とともに保管したことは、ひとつの見方を示している。写真は芸術家の成果物であるだけでなく、共同体の記憶の一部である、と。
北釜は東北にある。数十年前、森山大道が三沢で野良犬に出会ったのと同じ地方だ。二人の写真家、二つの世代、一つの地方。森山は通り過ぎた。志賀はとどまった。とどまったからこそ、通りすがりには見えないものが見えた。場所は、人が互いのために残す写真を通して生き延びる。