エッセイ · 写真

森山大道(Daido Moriyama)「Stray Dog, Misawa」(三沢の犬)

Daido Moriyama. Stray Dog, Misawa.

さまよう者が、見る者を見返す。

森山大道「Stray Dog, Misawa」:振り返ってカメラを見つめる毛むくじゃらの野良犬。粒子の粗い白黒写真

© Daido Moriyama · SFMOMA



1971年、年明けの朝

1971年の正月明け、森山大道は三沢にいた。日本の北の町で、大きなアメリカ空軍基地がある。『アサヒカメラ』誌のために撮っていたシリーズの旅で訪れていた。

のちに本人が振り返ったところでは、ある朝カメラを手にホテルを出ると、日なたをうろつく一匹の野良犬がいた。彼はシャッターを切った。それが彼の仕事全体をもっとも強く代表する一枚になった。

犬は毛むくじゃらで、少し狼に似ている。横向きに立ち、首だけをめぐらせてまっすぐレンズを見る。警戒し、かすかな攻撃性をにじませて。プリントは白黒、ハイコントラスト、粒子は粗い。目はほかに行き場がない。その視線だけがある。

ひとつの自画像

森山はたびたび、この犬を一種の自画像として語ってきた。自分もまたさまよい、物をにらみつけ、ときに吠える、と。犬のなかの何かが、彼の物の見方に近い。あるいは、通りを歩く彼の姿にも。

写真家になってからずっと、はぐれてしまったと感じてきた、とも彼は語っている。どこにも属さず、どこにも長くとどまらない。カメラは、立ち止まらずに街を抜けていくための方法だった。

三沢という場所が、写真にさらに重みを与える。戦争に勝った国の軍事基地の隣で暮らす日本の町。バー、英語の看板、通りを歩くアメリカ兵。野良犬は二つの世界のあいだに立ち、どちらにも属さない。森山はそうは言わない。だが、そう考えずにいるのは難しい。

アレ、ブレ、ボケ

森山大道は1938年生まれ。1960年代の終わりに、東京の若い写真家と詩人がつくった小さな雑誌『プロヴォーク』(Provoke)に加わった。彼らは報道写真や広告写真の、きれいで読みやすく構図の整った写真と決別しようとした。

彼らの撮り方は三つの日本語に要約される。アレ、ブレ、ボケ。粗い粒子、手ぶれ、ピンぼけ。素早く撮られ、しばしばファインダーを覗かず、カメラは傾き、地平線は歪む。結果は情報というより感覚として読まれる。

「Stray Dog, Misawa」にはそのすべてがある。それでいて、いちばん大事なところ、目だけは鋭い。粒子は粗く影は重いが、犬のまなざしはすぐに読める。澄んで、静かに。この写真がこれほど長く記憶に残るのは、そのためかもしれない。

東京からサンフランシスコへ

1999年、サンフランシスコ近代美術館は「Daido Moriyama: Stray Dog」を開いた。企画は同館の写真部門キュレーター、サンドラ・S・フィリップス(Sandra S. Phillips)。美術館はこれを森山の仕事を概観する最初の展覧会と位置づけ、二百点近い白黒写真と大型のポラロイド作品を展示した。

展覧会は犬から名を取り、戦後日本と西洋、とりわけアメリカの影響との曖昧な関係に焦点を当てた。三沢の1971年のプリントは SFMOMA の所蔵で、Van Deren Coke からの寄贈だ。

あの朝から五十年以上が過ぎても、犬はまだ振り返っている。写真集に、カタログに、ポスターに刷られてきた。この写真が重さを失わないのは、その問いが残っているからだ。誰が誰を見ているのか。数十年後、別の写真家、志賀理江子が東北へ向かい、やはり世界と世界のあいだに立つ場所を撮った。