エッセイ · 嗅覚アート
リジア・クラーク「Máscaras sensoriais」
Lygia Clark. Máscaras sensoriais.
目を覆うと、鼻が見はじめる。
六つの仮面、六つの感じ方
1967年、リジア・クラークは布の仮面を六つ一組でつくった。どれもフードのように頭からかぶり、鼻の部分が前に伸びている。鼻のなかには、ハーブのエッセンスを入れた小さな袋。目と耳の位置には、視覚と聴覚をゆがめるさまざまな物を取りつけた。
クラークの公式アーカイブによれば、仮面はそれぞれ色で呼ばれる。白の仮面は、目と耳にスチールウール、鼻にカモミール。黒は、目に鏡、そしてローズマリー。かぼちゃ色の仮面は、目に彩色したアセテート、耳にギターの弦で結んだ乾いたひょうたん、そしてレモンバーム。青は、目にくしゃくしゃの透明なプラスチック、耳に貝殻、そしてミント。
チェリー色の仮面は、目にアルミニウム、耳にスポンジと、ビー玉を入れた Ajax のキャップ、そしてアニス。緑は、目に包帯、耳にガラスの破片、そしてラベンダー。
この一覧を読むのは、レシピを読むのに似ている。仮面はそれぞれ、見るもの、聞くもの、嗅ぐものの独自の組み合わせ。同じものはふたつとない。白の仮面の人と黒の仮面の人は、同じ部屋に並んで立っていても、ふたつの異なる世界に入っていく。
絵画から身体へ
リジア・クラークは1920年、ブラジルに生まれた。幾何学的抽象の画家として出発し、1950年代末、リオデジャネイロで新具体主義グループの創設者のひとりとなった。グループは、作品が平面を離れ、空間へ踏み出し、見る者に届くことを望んだ。
クラークは、多くの仲間より遠くへ進んだ。手で折り曲げる蝶番付きの金属片から、1963年の「Caminhando」へ。参加者が紙のメビウスの帯を切っていく作品だ。さらに身体に着ける物へ。1966年の「Sensorial Gloves」、同じ年の「Breathe With Me」、1967年の「The I and the You」。アーカイブは、感覚の仮面を「感覚のオブジェ」のなかに置く。彼女が非芸術と呼んだ時期のものだ。
その名が意図を語っている。作品はもう、掛けて眺めるものではない。身体がそれをかぶったときにだけ完成する。かぶる人がいなければ、仮面は長い鼻のついた布袋にすぎない。少し滑稽に、テーブルの上に横たわる。
同じころ、クラークの親しい友人エリオ・オイチシカは、「Tropicália」で、訪れた人が裸足で入る布のテントをつくった。二人とも絵画を後にした。ただし向かった方向は違う。オイチシカは部屋を広げ、クラークはそれをフードにまで縮めた。
つながりと孤立のあいだ
クラークのアーカイブは、仮面をかぶったときの感覚を、周囲の世界との一体化から、完全な孤立にまで至る内への向き直りまでと記す。両端がひとつの仮面のなかにある。
匂いには特別な役割がある。目を覆われ、耳を乱されたとき、匂いだけがなお、濾過されずにまっすぐ届く感覚だ。ほかのすべてがゆがめられるなか、それはかぶる人を本物の植物、庭で育ったものに結びつける。そして、自分の息に、顔と布のあいだの小さな空間に気づかせる。
クラークが選んだ六つの匂いは、どれも台所と庭のものだ。カモミール、ローズマリー、レモンバーム、ミント、アニス、ラベンダー。珍しいものも、高価なものもない。けれど暗がりで鼻先に寄せれば、見知った匂いは何倍にも大きく響く。
五十年以上を経て、仮面は美術館に収まり、2014年にはニューヨーク MoMA のリジア・クラーク回顧展に並んだ。ガラスの向こうでは、かぶることはできない。見ることしかできない。その逆説こそが、クラークの望んだことをいちばんはっきり思い出させるのかもしれない。彼女の作品は布のなかにではなく、かつてそのなかにあった頭のなかにある。