エッセイ · 嗅覚アート
リジア・パペ「Luar do Sertão」
Lygia Pape. Luar do Sertão.
ポップコーンでできた月明かりも、月明かり。
Biennale de Lyon 2017 (展示風景) · Art in America
紫の光の下の原
「Luar do Sertão」は、リジア・パペが1995年につくったインスタレーションだ。素材はふたつに尽きる。ポップコーンと紫外線。暗がりで白いものを青紫に光らせる、あの光。
ポップコーンは床の広い範囲に撒かれる。ランプの下で、白い粒は食べ物に見えなくなる。月の下の砂のように、野の霜のように、夜に見る遠い土地のように光る。訪れた人は暗い部屋に踏み入り、ひとつの風景に出会う。
けれど、その風景には匂いがある。炒ったトウモロコシ、映画館、縁日、屋台。目はあることを言い、鼻は別のことを言う。そしてたいてい、鼻が先に知っている。
題は、ブラジルでよく知られた歌「Luar do Sertão」からとられている。詩人カトゥロ・ダ・パイシャオン・セアレンセと結びつけられる歌だ。セルタンとは、ブラジル北東部の乾いた内陸。海岸からも都市からも遠い。歌はそこでの素朴な暮らし、ささやかな喜び、そして歌い手がいちばん美しいと呼ぶ月明かりをたたえる。
リヨン・ビエンナーレは、パペの作品を、叙情的でありながら皮肉でもある像と評する。月明かりの風景をさまようことが、ブラジルの絶望をも呼び起こす。歌のセルタンは理想化されている。現実のセルタンは、干ばつと貧しさ、都市への移住の波の土地だ。
ポップコーンは鋭い選択だ。トウモロコシは貧しい人々の主食。はじけさせるのは、ひと握りの粒を手いっぱいに変える、いちばん安い方法だ。パペは歌の月明かりを、まさにその素材でつくる。美しさは本物。けれど、それは飢えからできている。
感覚の芸術家
リジア・パペは1927年、ブラジルのノヴァ・フリブルゴに生まれ、2004年に亡くなった。ブラジル前衛の中心人物のひとりであり、1950年代末の新具体主義運動に、リジア・クラークやエリオ・オイチシカらとともに加わった。グループは、芸術が額縁を離れ、空間へ、見る者の身体へと移ることを望んだ。
そこからパペは、参加者を必要とする作品を数多くつくった。「Divisor」はよく知られた例だ。穴をあけた巨大な白い布に人々が頭を通し、ひとつの身体のように一緒に動く。彼女は、触覚や味覚のような身体にいちばん近い感覚を大切にした。西洋の芸術がかつて視覚より下に置いた感覚だ。
「Luar do Sertão」はキャリアの後期の作品だが、同じ精神を宿している。理論は求めない。訪れた人に、入り、見て、息をすることだけを求める。
リヨン、2017年
2017年、「Luar do Sertão」はリヨン・ビエンナーレで、パペのほかの二作品とともに再び展示された。2000年の「New House」は、ゆっくり崩れていくファヴェーラの家を思わせる構造物。「Divisor」は10月14日と15日の週末に、リヨンとグルノーブルの MAGASIN で再び演じられ、地元の人々が白い布の下に並んだ。
三つの作品には共通する糸がある。崩れていく家。布で分けられながら、ひとつとして動く群衆。ポップコーンでできた月明かり。どれも、美しさは脆さとともにあり、壊されるものは生まれるものの一部だ。
ブラジルから地球の半分離れたリヨンで、セルタンの歌を知る人はほとんどいない。けれどポップコーンの匂いは誰もが知っている。もうひとりのブラジルの芸術家、エルネスト・ネトのスパイスに満ちた部屋のように、匂いは言語を越える。歌詞は分からなくても、人はあの月の下に立つ。