エッセイ · 近代美術

マグダレーナ・アバカノヴィッチ(Magdalena Abakanowicz)「Embryology」

Magdalena Abakanowicz. Embryology.

生きているものはすべて、繊維から始まる。

マグダレーナ・アバカノヴィッチ「Embryology」。麻布と繊維でできた柔らかな楕円のかたちが、床一面に散らばる

Tate · Tate



床の上の柔らかなかたち

1978年、マグダレーナ・アバカノヴィッチは、曖昧なかたちの新しいシリーズを始め、それを「Embryology」と呼んだ。テートが所蔵する一群は1978年から1980年の年記をもつ。素材は麻布、綿のガーゼ、麻縄、ナイロン、サイザル。

どのかたちも、布と繊維を束ね、きつく縛り、縫い合わせてつくられた。やがてそれは、丸く、柔らかく、不揃いな塊になった。小さいものもあれば、大きいものもある。二つとして同じものはない。

吊るされず、台座にも載せられない。床一面に、寄り添うように散らばっている。ひと抱えの卵のように、繭の巣のように、あるいは開かれたばかりの何かの生き物の臓器のように。

1982年の映像のなかで、彼女は三日月形の針を持ち、麻袋の柔らかな内側を縫い閉じている。動きはゆっくりと確かで、傷を閉じるようだ。作品は彫ることからも鋳ることからも生まれない。束ね、縛り、縫うことから生まれる。彫像を建てるよりも、身体の手当てに近い身振り。

ヴェネツィアの八百のかたち

1980年、アバカノヴィッチはヴェネツィア・ビエンナーレのポーランド館での展示に招かれた。そこでは800の「Embryology」のかたちが一堂に並んだ。同じ年、ポーランドでは、1970年に始まった十年の政治的動揺を経て、独立自主管理労働組合「連帯」が結成された。

彼女は何に惹かれたのかを語った。中身、柔らかな物質の内側。彼女にとって柔らかいとは、有機的で、生きていることだった。何が物質を生かすのか、その個性はどこから始まるのか、と彼女は問うた。かたちは、腹を、臓器を、架空の解剖学をつくりたいという、ほとんど身体的な欲求に応えたものだと彼女は言った。最後には、無数の近しい断片からなる柔らかな風景になった。

振り返れば、題は正確だ。発生学は、身体がかたちをとる前に起きることを研究する。彼女のかたちは、その敷居に立っている。すでにかたちはあり、まだ誰でもない。

生きとし生けるものの下の繊維

1978年、カリフォルニア州オークランドでのファイバーアートのシンポジウムで、アバカノヴィッチは、繊維をこの惑星の有機的な世界を組み立てる基本要素と見ていると語った。植物の組織も、葉の組織も、私たち自身の組織も、それでできている。神経、遺伝子コード、血管、筋肉。私たちは繊維の構造体である。

だから彼女は、麻布や縄を劣った素材として扱わなかった。それは身体に最も近い素材だ。彼女は縄を、石化した有機体、活動をやめた筋肉と呼んだ。動かし、並べ替え、触れることで、彼女はその秘密を知った。

彼女の子ども時代は、ポーランドにある祖父の館を囲む森と結びついていた。生涯を通じて、角、皮、貝殻、繭など有機的な物をそばに置き、ときに彫刻に取り込んだ。「Embryology」はその注意を運んでいる。生きた物質を、なじみ深く、同時に見知らぬものとして見ること。

彼女はファイバー・アーティストと呼ばれるのを嫌った。1980年代からは別の素材も使い、麻布とサイザルは、しだいに具象的になる作品のためにとっておいた。2022年、テート・モダンは彼女の大規模な展覧会「Every Tangle of Thread and Rope」を開いた。同時代のルイーズ・ブルジョワは身体と記憶のまわりに空間を築いた。それぞれのやり方で。「Embryology」はいまもそこに、床の上に、柔らかく静かに横たわっている。まだ来ていない何かを待つように。