エッセイ · 現代アート
セシリア・ビクーニャ(Cecilia Vicuña)「Brain Forest Quipu」
Cecilia Vicuña. Brain Forest Quipu.
結び目のひとつひとつが、覚えておくための方法。
Tate Modern · Tate Modern
タービン・ホールの二体の白い骨格
2022年10月、ロンドンのテート・モダン、タービン・ホールの両端に、白い繊維の塊が二つ、天井から吊り下げられた。それぞれ高さ27メートル。遠くからは枯れ木のように見えた。干ばつか火で樹皮が白くなった木。近づくと、脱ぎ捨てられた蛇の皮のように、骨のように、水を抜かれたもののように見えた。
テートはこの一対を Dead Forest Quipu と呼ぶ。セシリア・ビクーニャのヒュンダイ・コミッション「Brain Forest Quipu」の彫刻部分で、2022年10月11日から2023年4月16日まで展示された。
素材の一覧は目録のように読める。紡いでいない羊毛、綿テープ、綿ガーゼ、綿ロープ、麻縄、ジュートのネット、撚り糸、再生梱包紙、段ボール、カディ紙、竹の棒、植物繊維。粘土絵具、樹脂、絵具。テムズ川の泥の中から拾い上げた骨、管、棒、ガラス、陶片。そのすべてが二つの鋼鉄の構造から吊るされた。
川岸の物を集めたのは、ロンドンのラテンアメリカ系コミュニティの女性たちだった。ビクーニャは九月から十月にかけてロンドンに戻り、地元のつくり手たちと作品を組み上げた。二つの塊を両端に置くことで、古い建築の内側にもうひとつの建築を据えた。二つの錨と、そのあいだの、来場者が渡っていく距離。
キープ、空間の詩
キープ(Quipu、khipu とも書く)は、ケチュア語で結び目を意味する。一本の主紐から多くの細い紐が垂れ、それぞれ違う結び方をされ、違う色に染められている。アンデスの人々は紀元前2500年ごろから16世紀までこれを用いた。数を記録していたと考えられ、詩や物語も記録していたかもしれない。その結び目の多くは、もう読むことができない。
ヨーロッパによる征服のあと、キープは禁じられ、焼かれた。ビクーニャの語るところでは、その考えは生き延びた。つながりのイメージとして、アンデスの文化に生き続けている。身体、共同体、宇宙が一本の紐で結ばれている。
ビクーニャは1948年にチリに生まれた詩人であり、アーティストだ。サンティアゴのチリ大学で美術を学び、1972年にロンドンのスレード美術学校で学んだ。サルバドール・アジェンデ大統領に対するクーデターのあと、1975年まで亡命者としてロンドンにとどまり、Artists for Democracy の創設メンバーとなった。その後1980年までボゴタに暮らし、現在はチリとニューヨークを行き来している。
彼女は五十年以上にわたってキープとともに仕事をしてきた。彼女のキープは古い形を写さない。それは詩であり、彫刻であり、パフォーマンス、音、映像である。ひとつの言葉、ひとつの身ぶり、ひとつの集まりが、それぞれ結び目になりうる。
八時間の呼吸
「Brain Forest Quipu」は見るためだけのものではない。二つの塊の内側から、そして橋の下から音が聞こえる。テートはこれを Sound Quipu と呼ぶ。ビクーニャが構想し、コロンビアの作曲家リカルド・ガロ(Ricardo Gallo)が監督し、アリエル・ブスタマンテ(Ariel Bustamante)とともに編成した。
いくつもの地域の先住民の音楽、作曲された沈黙、ガロ、ビクーニャらによる新作、フィールド録音。それぞれ約八時間の四つのトラック、23人の寄稿者とひとつのアーカイブによる168のファイル。歩いていくと音に出会い、やがて音が消える。テートはそれを、大地が呼吸する八時間と表現する。
さらなる層、Digital Quipu は、館内のスクリーンとオンラインで流された。多くの国で土地、森、水を守る先住民の人々の映像。デジタル・プラットフォームを使い、その声をより遠くへ届けている。ビクーニャはこのつながりの網を、社会的な織りと呼ぶ。
招きを含んだ哀歌
テートはこの作品を追悼の行為として読む。破壊された森のために、変わりゆく気候のために、先住民への暴力のために。けれど同時に、ほかの声、ほかの知り方が聞こえる空間としても。
ビクーニャは書いた。地球は脳の森であり、キープはそのすべての相互のつながりを抱きとめる、と。その見方では、森は木の集まりではない。記憶するネットワークだ。その一部を切れば、全体が記憶のひと続きを失う。
タービン・ホールにはかつて発電所の発電機があり、石炭と石油が街の電気に変えられていた。そこに繊維と川の漂着物でできた枯れた森を吊るすことは、二つの歴史を並べることだ。同じコミッション・シリーズでは、マーレト・アンネ・サーラも、まったく違うやり方でサーミの知をこのホールに持ち込んだ。
二つの白い形は何も約束しない。葉をつけることもない。けれど一本の紐は、いつも次の結び目を待っている。音と沈黙のあいだを抜けてホールの端から端まで歩くとき、来場者はそうした紐の長さを歩いている。