エッセイ · 嗅覚アート
上田麻希(Maki Ueda)「Dog's Nose (Ars Electronica Version)」
Maki Ueda. Dog's Nose (Ars Electronica Version).
街にはもうひとつの地図がある。犬の鼻の高さに。
撮影:Konflozius · Maki Ueda(アーティスト公式サイト)
リンツでの一時間の散歩
2026年9月3日の朝、10:30から11:30までのあいだ、ヴィムという七歳の雄犬が、オーストリア、リンツのアルス・エレクトロニカ・センターを出て街を歩いた。彼は FAIMS Mobile という携帯型のガス計測装置を身につけていた。作品のクレジットでは、ヴィムは嗅覚研究者として記されている。
一時間、装置はヴィムの鼻の高さで空気中の揮発性分子を記録した。データは四つのグループに分けられた。アンモニア、小さな分子、中くらいの分子、大きな分子。グループごとに、リンツの通りに重ねた分布図がつくられた。
結果は、同じ朝、同じ道筋の四枚の地図で、どれも似ていない。ここには濃いアンモニア。あそこには大きな分子の厚い帯。ふつうの歩行者は、どちらも何ひとつ気づかずに通り抜けられる。
技術的な分析はリコーの氏本克也が行った。写真は Konflozius。上田麻希が作者であり研究者である。この版は、リンツで毎年開かれる芸術、技術、社会の祭典、アルス・エレクトロニカのためにつくられた。
記録し、再生する
上田は「Dog's Nose」を、スメルスケープを記録し再生するためのバイオロギング・システムと説明する。バイオロギングとは生物学者になじみの手法で、動物に機器をつけ、その生活そのものからデータを集める。ここでのデータは心拍や位置ではなく、犬が吸っている空気である。
リンツの前に、プロジェクトは東京を通った。作家のサイトによれば、上田自身の犬であり、彼女の言葉で言えば嗅覚の師であるチヨコが、センサーをつけて渋谷、原宿、代々木公園、明治通りを、合わせておよそ六時間歩いた。
システムの後半は再生だ。データは、デジタル制御の香りの噴霧とマイクロカプセル化によって、嗅ぐことのできる小さな縮尺の地図に変えられる。見るだけでは足りない。来場者はかがみ込み、鼻を近づけなければならない。
匂いを記録する難しさは、共通の単位がないことにある。画素も音符もない。上田はリンツの匂いを一つひとつ再現しようとはしない。その構造を記録する。どの分子が、どの大きさで、どの濃さで、どこに。戻ってくるスメルスケープは翻訳であって、複製ではない。
翻訳と原本のあいだのその隔たりこそ、この作品を考えるに値するものにしている。私たちがヴィムのように嗅ぐことは決してない。けれど、彼の世界が存在し、それにかたちがあることは知りうる。
鼻の政治
「Dog's Nose」は、上田が Olfacto-Politics と呼ぶ一群のプロジェクトに属する。彼女が添えるキーワードには、多種間の関わり(multispecies engagement)とデジタル嗅覚(digital olfaction)があり、それは二つの方向を指している。
一つめは犬だ。歴史の大半で、犬は人間の鼻のために働いてきた。獲物を追い、迷った人を見つけ、爆発物を嗅ぎ出す。「Dog's Nose」はその関係を逆にする。ヴィムは人が見つけてほしいものを探してはいない。犬が歩くように、ただ歩く。そして人がそのあとを追い、街が彼にどう見えるのかを学ぶ。
二つめは機械だ。装置は犬のようにも人のようにも嗅がない。分子を数える。生物の鼻、機械の鼻、人間の鼻。三つの鼻のあいだで、作品はどれも基準ではないことを示す。どれもが一部を読む。
上田は長くオランダで活動してきた日本のアーティストで、主な素材は匂いだ。2010年に大阪でつくられた「Olfactoscape」のような以前のプロジェクトは、しばしば来場者を、構築された匂いの空間のなかに置いた。「Dog's Nose」はギャラリーを出て、舗道へ降り、別の種を作者の座に招く。
心に残るのは、犬を前にした作品の慎ましさだ。一時間の散歩、四枚の地図、そして、知っているつもりの街にまだ嗅いだことのない層があるという告白。