エッセイ · 嗅覚アート
上田麻希「Tangible Scents: Composition of Rose in the Air」
Maki Ueda. Tangible Scents: Composition of Rose in the Air.
見慣れた匂いでさえ、ひとつずつ分解できる。
© Maki Ueda · Maki Ueda(公式サイト)
リード大学の11月のある日
2018年11月15日、オレゴン州ポートランドのリード大学で開かれた Reed Arts Week の期間中、屋外に五台のシャボン玉マシンが据えられた。それぞれが別の石鹸液を持ち、それぞれの液が別の香り分子を含んでいた。
五つの分子は、バラの匂いの主要な成分である。フェニルエチルアルコール、みずみずしく甘く、かすかに日本酒の気配。ゲラニオール、みずみずしく、ほのかに柑橘。フェニル酢酸、酸っぱく花のよう。ローズオキサイド、みずみずしく、わずかに金属的。アルデヒド C9、脂っぽく青く、キュウリに近い。
単独では、どれもバラの匂いにはならない。合わさると、バラをほのめかす。作品は観客を、そのふたつの状態のあいだに置く。
各マシンのタイミングは遠隔で制御された。キュレーターはその年の Reed Arts Week の芸術監督、アーセン・リース(Aersen Lease)。2019年、作品は Art and Olfaction Awards のサダキチ賞の最終候補となった。
空中で分解し、組み立てる
上田は自らの方法を、空中での脱構築と再構築と呼ぶ。完成した匂いを瓶で差し出すかわりに、匂いを部分に分け、組み立ては空間にまかせる。
作品の前での立ち方はふたつある。ひとつ。シャボン玉をひとつ追いかけ、鼻の真下で割り、ひとつの分子だけを嗅ぐ。ふたつ。五台すべてのマシンから出たシャボン玉のなかに立つ。そこでは香りが近くではじけ、空中で重なり合う。そこに、バラが現れる。
彼女はこれを空間のなかのコンポジションと呼ぶ。決まった処方はない。風が向きを変え、シャボン玉が漂い、あるマシンは別のマシンより濃く吹き出し、空気中の香りの比率は刻々と変わる。訪れる人ごとに、立つ場所ごとに、少しずつ違うバラを嗅ぐ。
上田がこのプロジェクトに立てた問いは実際的なものだった。匂いをどうすればもっと触れられるものにし、観客がつかみやすいものにできるか。答えはシャボン玉だった。シャボン玉は匂いに形を与え、飛ぶ道筋を与え、目で見届けられる消える瞬間を与える。
なぜバラなのか
上田がバラを選んだのは、ほとんど誰もが知っているからだ。だが逆の理由もある。典型的なバラの匂いは存在しない。ダマスクローズとティーローズは違う。野バラと温室のバラも違う。誰もがそれぞれに、バラの匂いの像を持っている。
なじみと食い違いが混ざり合っていること。それがバラを実験の良い素材にする。訪れた人が、このシャボン玉はバラの匂いがする、あれはしない、と言うとき、その人の私的なバラの像がどの分子に宿っているかが明らかになる。
ポートランドの前に、上田はこの考えをいくつかの形で試していた。2017年11月、東京の WOMB での短いパフォーマンス。同じ月、アートホテル石垣島でのキャンドルのインスタレーション。2018年8月、石垣島でのワークショップ。「Tangible Scents」はこの実験を屋外へ持ち出した。
瓶のなかではなく、空気のなかの匂い
上田の作品の多くは、空気を単に匂いが通り抜ける媒体ではなく、素材として扱う。「Aerosculpture: Sea of Fragrant Cloud」では煙を使い、動く匂いを見せた。「Tangible Scents」ではシャボン玉を使い、部分に分かれた匂いを見せた。
どちらもひとつの考えを共有している。匂いは静止しない。漂い、薄まり、ほかの匂いと出会い、溶けていく。栓をした瓶は香りを静止のなかに閉じこめる。屋外ではじけるシャボン玉は、香りを本来の動きへ返す。
作品のあとに残るのは、もうひとつの嗅ぎ方だ。次に本物のバラの前に立ったとき、訪れた人は上田と同じことを試すかもしれない。花全体を嗅ぐのではなく、その断片を探す。どこが甘いか。どこが青いか。どこに金属の気配があるか。