エッセイ · 嗅覚アート
上田麻希「Viral Parfum」
Maki Ueda. Viral Parfum.
見えないものも、痕跡を残す。
© Maki Ueda · Maki Ueda(公式サイト)
パンデミックのさなかのギャラリー
2021年5月7日から8月29日まで、ドイツのブレーメン市立ギャラリー(Städtische Galerie Bremen)で、インクマール・レーネマン(Ingmar Lähnemann)のキュレーションによる「Smell It!」が開かれた。パンデミックの二度目の夏だった。閉じた部屋の空気、つまり展覧会の素材そのものが、当時人々がもっとも恐れていたものだった。
そこで、長年匂いとともに仕事をしてきた日本のアーティスト、上田麻希が「Viral Parfum」を初公開した。タイトルは、決して並んではならないふたつの語を結ぶ。ウイルスと香水。
作品は、匂いとブラックライトによる空間インスタレーションである。ブラックライトとは、ある種の物質を暗闇で光らせる紫外線ランプのこと。ふつうの光の下では、部屋は何の変哲もない。紫外線の下では、いたるところに色の筋が現れる。
2022年、「Viral Parfum」は香りを用いた実験的な作品として、Art and Olfaction Awards のサダキチ賞を受けた。上田は以前にも鼻と物との距離を扱っていた。「Olfactory Labyrinth Ver. 4」では、匂いで見えない桜の木々を立ち上げた。「Viral Parfum」で見えないものは、誰もが避けたいと願ったものである。
六つの匂い、六つの色、六つの変異株
上田は六つのアコードをつくった。それぞれがコロナウイルスの変異株のひとつを表し、固有の色を持つ。空色、緑、黄、青、白、橙。色はふつうの光では見えない。紫外線の下でのみ現れる。
作家はそれぞれの成分を公開した。一番はイランイラン油を含む。三番はイランイランだけ。五番はリナロールとバニリンを含む。六番は彼女自身によるネロリのコンポジション。どれも香水づくりのありふれた素材で、恐ろしいものは何もない。だからこそ作品にふさわしい。ウイルスを表すものが、花の匂いでできている。
訪れた人はスプレーを手にとり、「viral parfum」を部屋のどこにでも吹きつけるよう促される。壁、床、物。あとから来た人は鼻を使い、ウイルスがどこにとりついたかを探す。紫外線ランプの下で、前にいた人々の痕跡を見る。
部屋はゆっくりと拡散の地図になる。統計もグラフもない。あるのは色の筋と交差する匂いだけ。そのひとつひとつが、そこに立った誰かのしぐさである。
白百合
六つの匂いが空気のなかで出会うと、白百合の匂いになる。上田はこの花を、パンデミックで亡くなった人々への献花として選んだ。多くの土地で、白百合は葬儀の花である。
ここで作品は向きを変える。ひとつひとつの匂いは、害をなすものを表す。だがそれらが部屋じゅうに広がり、重なり、落ち着くと、現れるのは一輪の花だ。この作品で、拡散は数字では終わらない。別れで終わる。
上田は匂いとウイルスの類似をはっきりと名指す。どちらも見えず、空気を旅し、表面にとりつき、時とともに薄れる。2021年、それらは日々の不安の種だった。彼女はそれらを恐怖から取り出し、ゆっくり観察できる部屋に置いた。
「Viral Parfum」について残るのは、訪れた人に忘れさせようとしないことだ。作品は見えないものを、ランプの下で、匂いを通して現す。やがて匂いは、あらゆる匂いと同じように薄れる。だがあの部屋で百合を嗅いだ人は、もう以前のようにはその花を嗅げないだろう。