エッセイ · 近代美術
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)。「Fountain」。
Marcel Duchamp. Fountain.
原物は失われた。作品は残る。
Tate · Tate
配管資材店で買ったもの
1917年春、ニューヨークで、マルセル・デュシャンは衛生陶器の業者から標準的な小便器を買った。のちに彼はその会社を J.L. Mott Iron Works と回想している。彼はそれを、壁に掛けるように立てるのではなく、仰向けに倒した。縁には黒い絵の具でこう書いた。R. Mutt 1917。
小便器はその後、新しく設立された独立美術家協会(Society of Independent Artists)の最初の展覧会に、無名のリチャード・マット(Richard Mutt)の名で出品された。題は「Fountain」。
デュシャンはこうしたものをレディメイドと呼んだ。作家が作品として指定した大量生産品である。1914年にはすでに「Bottle Rack」をつくっていた。だが、これほど騒ぎを起こしたレディメイドはなかった。
名前も冗談だった。デュシャンによれば、Mutt は衛生陶器会社の Mott から来ており、漫画「Mutt and Jeff」にちなんで変えたものだという。Richard は、金持ちの男を指すフランス語の俗語として加えられた。
デュシャンは、なぜ小便器を回したのかを説明しなかった。彼は四次元を示すという問題に魅了されていた。数学の本では、立体を回転させることでよく図解される問題だ。同じころ彼は、機械と欲望をめぐる大きな作品「The Large Glass」に取り組んでいたが、それを知る人はごくわずかだった。
審査員のいない協会
デュシャンは1915年にパリからニューヨークへ移った。協会の設立を手伝い、理事を務め、展示委員会の長になった。協会は審査員も賞も設けないと約束していた。会員が送ったものは何でも展示される。デュシャンは、誰も誰かを順位づけしないよう、作品を姓のアルファベット順に掛けることまで提案した。
小便器はその約束を試した。グランド・セントラル・パレスでの設営中、十人ほどの理事がこれを議論し、投票した。僅差で「Fountain」は除外された。展覧会はそれを欠いたまま1917年4月10日に開幕した。彼らの考えでは、衛生陶器は芸術になりえず、そのうえ下品だった。
デュシャンとコレクターのウォルター・アレンズバーグは抗議して辞任した。当時、R. Mutt の背後にデュシャンがいることを公に知る人はほとんどいなかった。彼はのちに、同僚たちが知っていたら答えは違っていたかもしれず、そうなれば試験はもう試験ではなくなっていた、と説明している。
この一件を、デュシャンが古い傷を再演したものと読む人もいる。1912年、パリのアンデパンダン展(Salon des Indépendants)で、彼は開幕の数日前に「Nude Descending a Staircase, No.2」の取り下げを静かに求められた。彼は従ったが、のちにそれを人生の転機と呼んだ。
一枚の写真、一本の記事、消えた物
開幕から数日のうちに、デュシャンは仕切りの裏にしまわれていた小便器を見つけ、写真家アルフレッド・スティーグリッツのもとへ運んだ。写真は1917年4月19日までに撮られた。写真のなかで小便器には宛名札が下がっており、丁寧に読むと、デュシャンの親しい友人のひとり、ルイーズ・ノートンの住所が見える。
1917年5月、小さな雑誌「The Blind Man」の第二号がその写真を掲載し、マット氏を擁護する無署名の論説を添えた。主張は単純だった。マット氏が自分の手で泉をつくったかどうかは問題ではない。彼はそれを選んだ。ありふれた品を、新しい題と視点のもとで実用的な意味が消える場所に置いたのだ。
それから小便器そのものが消えた。1918年のものとされる写真には、デュシャンのアトリエの戸口に吊るされた姿が写っている。その後は誰も知らない。テートは、1918年にデュシャンがブエノスアイレスへ発った際に捨てられたのかもしれないとしている。
つまり、デュシャンの最も有名な作品を実際に見た人はごくわずかだった。その歴史の多くは、一枚の写真の歴史である。
1964年に署名されたレプリカ
1950年代から1960年代にかけて、新しい世代の作家たちはデュシャンのダダのレディメイドを、自分たちの仕事の先例とみなした。美術館やギャラリーは、とうに失われた物の貸し出しを求めた。デュシャンは1950年と1963年に「Fountain」のレプリカを認めた。
1964年、ミラノのガレリア・シュヴァルツは、スティーグリッツの写真をもとに、デュシャンと密に連絡を取りながら「Fountain」を八点のエディションで制作した。さらに四点がつくられた。デュシャン用に一点、画商アルトゥーロ・シュヴァルツ用に一点、美術館の展示用に二点。レプリカは施釉陶器で、元の磁器に似せて白く塗られている。R. Mutt の署名は黒で描き直された。デュシャンは裏に自分の名を署名した。
テートの一点は1999年、テート・ギャラリー友の会の援助で購入され、2000年のテート・モダン開館展示で公開された。2004年、英国の美術専門家500人への調査は、「Fountain」を二十世紀で最も影響力のある芸術作品に選んだ。
レプリカはレディメイドを裏切ると感じた人もいた。ある瞬間に選ばれた物が、いまや型どおりに製作されている、と。デュシャンは気にしなかった。より多くの人が作品を見て、考えが生き延びるなら、唯一の原物のアウラを失うことを喜んだ。