エッセイ · 嗅覚アート
マルグリット・ユモー(Marguerite Humeau)。「Birth Canal (Venus body odour), The scent of the birth of humankind」。
Marguerite Humeau. Birth Canal (Venus body odour), The scent of the birth of humankind.
誰もがこの匂いを通り抜けてきた。誰も覚えていない。
後ろ向きに入る展覧会
2018年の秋、ニューヨークのニュー・ミュージアムで、フランスの作家マルグリット・ユモーの展覧会「Birth Canal」が開かれた。会期は2018年9月4日から2019年1月6日まで、キュレーターはナタリー・ベル。
空間の配置も着想の一部だった。訪れる人は出口から入った。部屋は産道として構想され、なかへ歩み入る人は、誰もが誕生のときに一度だけ通る道を逆向きにたどっていた。
なかには十二体の彫刻が、それぞれ自分のスポットライトの下に立っていた。音の作品があった。そして、匂いがあった。
その匂いには、美術館のキャプションほど長い題がついていた。「Birth Canal (Venus body odour), The scent of the birth of humankind」。誕生の匂いを呼び起こすためにつくられた、合成の香り。
十二のヴィーナス
彫刻は先史時代のヴィーナス像にもとづいている。石や骨、象牙でつくられた小さな女性像で、世界各地の遺跡から見つかっている。そのひとつがホーレ・フェルスのヴィーナスで、マンモスの牙から彫られ、これまでに見つかった最古の人物像のひとつに数えられる。
ユモーはそれらを写さなかった。コンピューターで彫刻を設計し、大理石、ブロンズ、アラバスターでつくった。かたちはなお身体として読めるが、なめらかで張りつめ、太古のものでありながら、一度も見たことのないものでもある。
題は奇妙な症例記録のように読める。70歳の人間の女性が、ナマケモノの脳を摂取した。年齢不詳の人間の女性が、タスマニアデビルの脳を摂取した。70歳の女性が、アリゲーターの脳を摂取した。25歳の妊婦と90歳の彼女自身が、リクガメの脳を摂取した。
これらの題は、人類学者ベス・ヘイゲンズの説から来ている。初期の人類は変性意識に至るために動物の脳を食べていたのかもしれない、という説だ。展覧会が拠る読みでは、ヴィーナス像は女性の像以上のものである。シャーマンのための霊的な道具、あるいは女性の身体の解剖図のようなものだったのかもしれない。
叫びと光
音の作品にも独自の題がある。「the Venuses envision the extinction of their offspring, humankind」(ヴィーナスたちは、自らの子孫である人類の絶滅を思い描く)。部屋を満たすのは、すすり泣き、金切り声、意味をなさないおしゃべり、笑い声。スポットライトは音に合わせて明滅する。
こうして展覧会は、ひとつの物語の両端をつなぐ。一方の端で人類が生まれる。もう一方の端で、人類は消えるかもしれない。母なる像はそのあいだに立ち、両方を向いている。
訪れる人は暗い部屋を進む。光っては暗くなる身体のあいだを、人間とも動物ともつかない声を聞きながら。そしてそのあいだずっと、名づけられない匂いが空気のなかにある。
なぜ匂いなのか
誕生のイメージはどこにでもある。絵画、写真、彫像、解剖書。その匂いは、ほとんどどこにも記録されていない。そんなものを保管する美術館はない。
ユモーはその空白を選んだ。嗅覚は脳の古い部分に最も近い感覚だ。展覧会自体が、爬虫類脳や中脳という言葉で呼び起こしている部分である。匂いは、訪れる人がキャプションを読むより、考えがかたちをとるより先に届く。同じ年のロンドンでは、「UUmwelt」のピエール・ユイグもまた、脳と言葉の向こうにあるものを扱うにあたって匂いに向かった。
「Birth Canal」の香りは正確である必要がない。誰も確かめられないのだから。それがするのは、訪れる人を奇妙な場所に置くことだ。自分の、そして自分の種の、忘れてしまった始まりより前に。
だからこそ、この作品は残り続けるのかもしれない。彫像は写真に撮れる。音は録音できる。匂いは部屋のなかにだけ、展覧会が開いていた数か月のあいだだけ存在した。それを嗅いだ人は、いまもそれを携えている。ほかの人は、それについて読むことしかできない。私たちが自分の誕生について読むように。