エッセイ · 写真

マーク・パワー(Mark Power)。「The Shipping Forecast」。

Mark Power. The Shipping Forecast.

何度も聞いた名前は、訪れたことがなくても場所になる。

マーク・パワー「The Shipping Forecast」:BBCの海域のひとつにある岸辺を写したモノクロ写真

© Mark Power · Magnum Photos



一日四回読まれる予報

「The Shipping Forecast」は、BBCラジオ4が一日四回放送する海上気象予報で、ブリテン諸島周辺の船に向けたものだ。海は31の海域に分けられ、それぞれに名前がある。読み手は順にそれらをたどり、風向、風力、視程を決まった型で伝えていく。

この予報の起源は19世紀にさかのぼり、2017年にはラジオ4が150年目を記念した。世代を重ねるうちに、船乗りだけのものではなく、イギリスの暮らしの一部になった。風の強さなど気にせずに聞く人も多い。聞いているのはリズム、名前、一日の終わりに届くその変わらなさだ。

名前はそれ自体の響きをもつ。ドーヴァー、テムズ、ハンバー、タイン。なじみのある川と港。フェア島、ヘブリディーズ、マリン。はるか北。ジャーマン・バイト、サウス・ウトシーレ、トラファルガー。他国の沿岸の海。サウスイースト・アイスランド、はるか上のほう。

イギリスの写真家マーク・パワーは、単純な問いを立てた。それらの名前の向こうにある場所は、実際にはどう見えるのか。名前は誰もが耳にする。そこに立ったことのある人は、ごくわずかだ。

四年、31の名前

パワーは31の海域すべてを訪れると決めた。プロジェクトはおよそ四年かかり、1996年に終わった。撮影はモノクロで行った。

助成金の申請が通らず、はじめは自費で動いた。三年目に、ルクセンブルクのヨーロッパ写真賞モザイク賞(Mosaique)を受賞する。それによって残りの海域を撮り終え、音を組み込んだ展覧会を開き、最初の写真集の資金の一部をまかなうことができた。

鍵はキャプションにある。パワーは各写真の下に、撮影した日の朝六時の予報を置いた。海域、風、視程。乾いた技術的な言葉が、なじみの典礼のように読める。

そして写真は、しばしば一致しない。巨大な波も、嵐のなかの船もない。あるのはほとんど人のいない浜辺、海を見つめるひとりの姿、港の一角、季節はずれの保養地、水際に残る人の痕跡。

想像の風景

「The Shipping Forecast」はよい問いを立てる。おもに名前として存在する場所を、どう撮るのか。多くの海域は外洋で、立つべき岸がない。パワーは最も近い陸地、島、あるいはその海域の気配をもつ港を探さなければならなかった。

だからこのシリーズは正確な地図ではない。感覚の地図だ。一枚一枚が、生涯聞きつづけた名前へのひとりの答えである。

これはイギリスについての作品でもある。自らの縁から見た島国。大きな海の前の小さな人影。誰も離れたことのない場所への郷愁。多くの観る人が、感じたことはあっても見たことのなかったものを写真のなかに見いだす。

1996年にゼルダ・チートル・プレス(Zelda Cheatle Press)から出版された写真集はすぐに売り切れ、翌年に二度増刷された。ずっと後になって作品は再刊され、2018年のイプスウィッチでの展覧会などで再び展示された。

なぜ残るのか

「The Shipping Forecast」は、写真の連作が音から始まりうることを示す。かつて見た光景からではなく、かつて聞いた声から。

杉本博司「Seascapes」の水平線の隣に置くと、海の見方の二つのまったく異なる道が見えてくる。杉本は人の痕跡をすべて取り除き、水と空とそのあいだの線だけを残す。パワーはその逆だ。海を、そのそばにいる人々、港、ラジオの声を通して撮る。

名前は場所になりうる。十分に何度も、十分に穏やかな声で呼ばれさえすれば。