エッセイ · 嗅覚アート

マリヤント(Maryanto)。「Brimming in Wonocolo」。

Maryanto. Brimming in Wonocolo.

石油の匂いは、誰にも描けない風景の一部である。

マリヤント「Brimming in Wonocolo」。石油掘削やぐらのパノラマ壁画と、原油を噴き出すドラム缶

マリヤント「Brimming in Wonocolo」 · ArtReview Asia



壁の上の掘削やぐらの群れ

「Brimming in Wonocolo」は2015年、ジャカルタ・ビエンナーレで初めて展示された。作品は二つの部分からなる。奥には地平線のように広がるパノラマの壁画。密集した石油掘削やぐらの群れが描かれている。手前には本物のドラム缶。どの採掘現場にもある石油用のドラム缶である。

ドラム缶はじっとしていない。小さな稼働中の井戸のように、一定のリズムで原油を噴き出す。動きとともに匂いが来る。重く、濃く、かすかに甘い。それが絵の前の空間を満たす。

見る人は二つのもののあいだに立つ。一方には像。静止し、距離がある。もう一方には物質。流れ、匂い、すぐそこにある。絵は地図。ドラム缶は土地そのもので、展示室に運び込まれている。

ウォノチョロ、1893年から

ウォノチョロはインドネシア東ジャワの地域で、石油が地表近くに眠っている。1893年、オランダの会社 Dordtsche Petroleum Maatschappij がそこで掘削を始めた。当時インドネシアは植民地で、石油は持ち去られるものの一つだった。

1949年の独立後、ウォノチョロのおよそ五百の古い井戸は地元と外国の事業者の手に渡った。ArtReview Asia によれば、その後の数十年が残したものは二つ。傷ついた土地と、石油をめぐる政治腐敗の連鎖である。

タイトルには brimming という語が使われている。二通りに読める。石油に満ちた、豊かな土地。そして石油があふれ出し、土や水、そこに暮らす人々の生活にしみ込んだ土地。展示室で石油を噴き出すドラム缶は、その両方の意味を同時に抱えている。

物質で描く風景画家

マリヤントはジャカルタに生まれた。ジョグジャカルタのインドネシア芸術大学で版画を学び、スペインで短いレジデンスを経て、2012年と2013年をアムステルダムのライクスアカデミー(Rijksakademie)で過ごした。ジョグジャカルタで暮らし、制作している。

主なジャンルは風景。ただし眺めて楽しむ風景ではない。マリヤントにとって、ある場所を描くことは問うことだ。誰がそこを所有し、誰がそこから採り出し、誰がその結果とともに生きるのか。彼は社会福祉の仕事にも携わってきた。それが選ぶ主題に表れている。

彼の素材はいつも意味を帯びている。2013年の「Pandora's Box」では、アトリエの壁に木炭とカーボンパウダーで炭鉱の光景を描いた。炭鉱を、その炭鉱自身の黒い粉で描いたのである。ウォノチョロと同じ2015年には、ナイジェリアの作家ヴィクター・エヒカメノール(Victor Ehikhamenor)と「Sweet Crude, Black Gold」を制作した。ナイジェリアの石油掘削を主題にした、木の板の多連画である。2016年には「Mineral Desire」。鉱物の棚の横に風景のキャンバスを置いた。

「Brimming in Wonocolo」はさらに一歩進む。ここで物質は描くために使われない。そのまま置かれ、動かされ、匂うにまかされる。

なぜ匂いが大切なのか

油井の写真を見ても、何も見えないことがある。ニュース写真、広告、記録写真。石油の像はあまりに多く、目はそれに慣れてしまった。匂いには慣れにくい。閉じた部屋の原油には、頭が追いつく前に体がすぐ反応する。

ウォノチョロでは、その匂いは日常の一部だ。空気の中に、土の中に、井戸で働く人の手にある。それを展示室に持ち込むことで、マリヤントはその暮らしの一片を持ち込む。ジャカルタの観客は、東ジャワまで行かなくても、その場所がどんな匂いかを知る。

ドラム缶のリズムも大切だ。それはポンプのリズム、終わりなく繰り返すもののリズムである。百年以上、石油はこのような調子で汲み上げられてきた。作品は歴史を言葉で語らない。形と音と匂いをともなって、歴史を目の前にこぼれ出させる。

ベルギーの作家ペーター・デ・クペール(Peter De Cupere)も、「Air Polluter」で、きれいな匂いと汚れた匂いのどちらを展示室に放つかを観客に選ばせた。だがマリヤントの作品では、匂いは単独で立っていない。名前のある場所、1893年という日付、目のための絵に結びついている。