エッセイ · 嗅覚アート
ペーター・デ・クーペレ「Air Polluter」
Peter de Cupere. Air Polluter.
ボタンのひとつひとつが、共有の空気の持ち分。
© Peter de Cupere · Peter de Cupere(作家公式サイト)
入口の操作盤
「Air Polluter」は、ベルギーの作家ピーター・デ・クーペレによる参加型の匂いのインスタレーションである。アムステルダムのデ・ブラッケ・フロントでの同名の個展の中心作品だった。展覧会は2007年6月8日の夜に開幕し、6月9日から7月15日まで開かれた。
インスタレーションの始まりに操作盤が立っている。そこから来場者は、心地よい匂いや不快な匂いを放つことができる。言いかえれば、部屋の空気の汚染にどれだけ加担するかを、ひとりひとりが決める。
匂いはふたつの区域に分けられ、作家はそれを「Smell Fields」と呼ぶ。ひとつは清潔、ひとつは汚れ。区分は化学的なものではない。社会がふつうそれぞれの匂いをどう判断するかに基づいている。
入るとき、来場者はひとりずつ空の容器を受け取る。インスタレーションの終わりに、部屋でつくられた空気をそれに詰める。
清潔と汚れ、ふたつの場
「Clean Smell Field」には、人が心地よいと感じやすい匂いがある。自然のもの。草、木、花、土。食べもの。果物、焼きたての肉や魚、人工の香料や風味。香水、洗濯用品の香りも含む。
清潔の側で、ひとつの細部が目立つ。人の体の匂い、たとえばフェロモンを含む新しい汗。作家はこの選択を説明する。公の場で、汗はふつう否定的な意味をもつ。私的な場で、それが家族や恋人のものであれば、しばしば心地よく、ときに官能的にさえ感じられる。
「Dirty Smell Field」には、排気ガス、タイヤのゴム、アスファルト、汚れた油、燃料、発酵、排泄物がある。
並べてみると、ふたつのリストはきれいに分かれない。汗は清潔の側にある。発酵は汚れの側にある。最良の食べものの多くは発酵しているのに。人工の香料は清潔とされる。それも工場から来るのに。この区分が示すのは、私たちが匂いそのものより、習慣と文脈で匂いを判断しているということだ。
ひとりでは満たせない容器
「Air Polluter」でもっとも繊細な部分は終わりに来る。来場者はボタンを押し、ある匂いを放ち、別の匂いを止めることができた。けれど部屋の他の人も同じことをしている。好きなものをつけ、嫌いなものを消す。だから、それぞれが容器に注ぐ空気は、一部しか自分の選択ではない。
それは外の大気汚染の小さな模型だ。私たちにはそれぞれいくらかの選択がある。何を運転し、何を燃やし、何を使うか。けれど私たちの吸う空気は、街じゅうの選択の総和である。完全に責められる者はいない。完全に無実な者もいない。
作品は説教しない。どのボタンが正しいかを言わない。来場者に操作を委ね、それからその限界を見せる。結果は容器に入って家に帰る。あの午後、あの部屋、あの人たちの見本として。
「Air Polluter」は2007年の作品だ。汚れた空気はその後もデ・クーペレの実践にたびたび戻ってくる。けれどここで、問いはもっとも素朴なかたちをしている。誰もがボタンを持つとき、それは誰の空気なのか。